殺人罪時効と、名乗り出た犯人を巡るクライムサスペンス映画、22年目の告白-私が殺人犯です-をレビュー及び 評価、感想、解説。
あらすじ
1995年に国内を騒がせた、連続絞殺事件。被害者はいずれもロープで首を絞められており、尚且つその近親者に一部始終を目撃させるという卑劣な犯行であった。
しかし最後の事件当日は、現在の時効撤廃制度適用の僅か一日前にあたる。よって本件の犯人は既に罪に問われることはなく、真相は闇へ沈んだ。
2017年、とてつもないニュースに世間が沸いた。なんと連続殺人鬼が自ら名乗り出て、事件のあらましを記した書籍本を出版するというのだ。
テレビ、新聞、ネットニュース。あらゆる媒体がこれに群がり、報道の過熱によって初週で30万部を売り上げる大ベストセラーとなった。
彼の名は、曾根崎。遺族や警察への挑発とも取れる行為を繰り返すこの男が、終わったはずの事件に再びスポットライトを浴びせることとなった。
殺人者の告白

殺人罪時効制度の撤廃は、まだ記憶に新しい方も居るだろう。「逃げ得」と殺人者に思わせないこの新たなシステムは、冤罪のリスクは抱えるものの、概ね犯罪の抑止効果を生んでいると思われる。
作中犯人の曾根崎は、当該システム適応の一日前に最後の犯罪を犯した。よって彼を司法に問うことは不可能であり、また表現の自由によって出版する書籍に行政が咎めを課すことも同じだ。
しかし法が裁けないからと、被害者やその遺族の心が同じとは限らない。むしろより強い怨恨を駆り立て、直接的手段に出る者も少なからず居るだろう。
現実でも、獄中や釈放後に自身の犯した罪についてを記した書を出版する者は居る。多くの場合はセンセーショナルな話題性によって売れ筋の商品と化し、書店のみならず世間全体を騒がせることになる。
被害者遺族感情への配慮と、言論の自由とで常に対立する問題。テーマの裏側には深い闇が潜んでいる。
痛烈な批判

曾根崎の過去を知りつつも、多くの聴衆はその素顔に夢中になる。特殊なインフルエンサーとして彼はネット界隈やテレビニュースで一世を風靡し、批判的な者と熱中する信者を同時に獲得するのだ。
彼は「ソネさま」という愛称で親しまれ、若年層を中心に支持を取り付ける。
作中のこうした描写の端々に、体質的にミーハーと言われる日本人への痛烈な批判を受け取った。
特にテレビへの依存が高く、またSNS中毒も多い我々には、善かれ悪しかれ、とにかくニュースとして扱われるモノへの急速な加熱度が異常である。
曾根崎はこうした特性をよく理解しており、あらゆる媒体を駆使して日本中に自分のイメージをばら撒く戦略に出た。
殺人鬼を擁立する聴衆。宗教じみた不気味な熱感に、国民性の闇を映している。
展開への不満

佳境へ迫るうち、曾根崎に対して疑惑が持ち上がる。やがて真犯人を名乗る男が現れ、一気に物語は加速していく。
ここへ至る段階で、曾根崎へ疑いを抱かせるピースがやや少なすぎたのが目立つ。
彼が金に頓着しない様子であったり、コアな事実を知らないことへのフォーカスがもっと含まれていれば、それらはクライマックシーンでより強いトリガーとして働いただろう。
現段階では伏線と呼べるような伏線は見当たらず、謎解きに際しての爽快感に大幅に欠ける。
これは真犯人についても同じであり、特に動機に関してがあまりにも弱かった。目の前で殺されたのが彼にとってどれほど親しい人物であったかを、もっと僅かでも描写していれば補完可能だったように感じる。
ラストシーン

最終的に復讐の刃は鞘に収まり、彼らは血の流れない道を選んだ。
時間の錯覚を加えるミステリー系のトリックで一応の決着はついたが、しかしモヤモヤするのは何故だろう。
リベンジをテーマにした作品ではこのような文言がしばしば用いられるが、そもそもこれは真実なのだろうか?
多くの一般的な方は、復讐を必要とする環境に身を置いたことなどない。それは筆者も同じである。
では復讐作品を手がける脚本家や小説家たちは、誰かを殺害したいような怨念を堪えながら、それでも悪鬼羅刹に身をやつすことなく、呪怨を呟きながらこれら作品を書き殴ったのだろうか?
答えは否、だろう。
現代において、大半の人は殺人の意趣返しなど必要としない幸福を享受している。この”復讐は何も生まない理論”は、概ね妄想で作り出された綺麗ごとに過ぎない。
以前、被害者遺族の方にインタビュワーがこう聞いた。

いま、率直に犯人に感じる思いはどんなものですか?
事件から数年経ち、長期刑の確定がされた殺人犯への思いを聞かれた、被害者の遺族だ。
彼はこう答えた。

本音をいえば、今でも殺してやりたいと思っています。
これがリアルだ。
復讐が必要なければ、江戸で仇討ち決闘が起きたり、現代の死刑制度が執行され続けるのは理にかなわない。
やはり復讐は、望まれているのである。
話を本題に戻そう。筆者の求めたラストシーンは、以下のようであった。
少なくともCパートで戸田にナイフを握らせるよりも、よほど納得可能な幕引きに思う。
評価
概ね上質なサスペンスとして勧められるだろう。

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