クライムサスペンス映画、At The End Of Tunnelをレビュー及び 評価、感想、解説、考察。
あらすじ
車椅子生活のホアキンと、歩くことが出来なくなった老犬カシミーロ。
この一人と一頭は、不釣り合いな大きい家で静かに、そして憂鬱な生活を送っていた。
貯金を使い果たし、家屋の差し押さえ督促が届いたホアキンは、使っていない二階の部屋を貸し出すことを思いつく。
いくばくかの家賃収入を得ることでそれらを賄おうという算段だった。
公示から間もなく、一組の母娘が申し込みを願い出た。
彼女らは二つ返事で部屋を借りると言い、すぐに奇妙な同居生活が始まった。
干渉を避ける家主ホアキン、世話焼きな母ベルタ、無口な少女ベティ。

ある日地下室で仕事をするホアキンの耳に、奇妙な物音が聞こえた。
どうやら隣家の者が同じく地下で、何やら良からぬ計画について話し合っているようなのだ。
これに興味を惹かれたホアキンは音声を録音し、壁にマイクロスコープを差し込んで映像も入手する。
銀行強盗。
話を聞き進めていく内に、どうやら銀行の真下までトンネルを掘り、地下から貸金庫の中身を拝借しようという作戦らしい。
ホアキンの中に黒い情動が沸き上がる。
通報でも見て見ぬふりでもなく、彼が選んだのは。
強盗の強盗、つまりは横取りだった。
ホアキン

下半身不随で、車椅子生活の男。仕事で大した収入を得られず、貯金も底をつき、自宅の差し押さえ督促状が届いたことで家賃収入を得ることを決意した。
他人の干渉を嫌い、殻に閉じこもっている。特にそれが、母娘であればなおさら。
ベルタ

ホアキン邸二階を借りた母親。ストリップダンサーを生業としており、ひとつ手で愛娘ベティを育てる逞しい女性だ。
不摂生な生活を送っているホアキンになにかと世話を焼くが、彼は中々打ち解けない。
ベティ

ベルタのひとり娘。二年程前から言葉を失っており、母にすら喋ることがない。
人間そのものを嫌っている節があり、目を合わせることすら嫌っている。
唯一、カシミーロには気を許しており、いつも一緒に過ごすようだ。
多くを行間で語る

ホアキンは彼自身を作中で語らない。過去に居た家族の話も、庭を出てはぼんやりと遠くを眺める理由も。
ほとんどの部分を散りばめたヒントでしか推察させず、分かり易い回想やモノローグを排して、敢えて視聴者には明言しないスタイル。
思考して物語を読み解くのが苦手な方には物足りなさが残るだろうか。しかしこういった構築は筆者には非常に好みであった。
是非あなたなりの解釈で、ホアキンの過去を紐解いてみよう。
危険な賭け

隣家でトンネルを掘っている連中は組織的に銀行強盗を計画する連中らしく、凶暴で冷酷だ。
仮にこちらの横取りを気取られれば、瞬く間に奴らは乗り込んでくるだろう。
そうなれば、下半身に損傷のあるホアキンに抵抗する術はない。
そこでホアキンに求められるのは、綿密な計画だ。
強盗集団の会話を洗い直し、人間関係から性格に至るまでおよそ全ての相関図を描くことになる。
ハンディキャップを覆し得るのは智慧と豪胆さだ。
しかしある疑問も当然我々は持つ。
なぜこうまでして横取り、というよりは多額の現金に拘るのだろうか。
見たところ彼は散財や贅沢を好むタイプではないし、どちらかと言えば慎ましい人間に見える。
命をベットするには、あまりにもリターンの少ない賭けに思えるのだ。
彼が大金を欲する理由は、これも結局語られない。前項で言った通り、やはり行間を読もう。
全ての答えは視聴者自身に委ねられる。
見かけによらず凡俗趣味なのか、或いはそれとも。
怒涛の展開

緩やかな序盤を経て、次第に物語は加速度的に展開していく。
ちぎっては投げ、のような激しいシーンは存在しないが、緊迫感と盛り上がりはたっぷりだ。
手に汗握るだろう。
ラストシーンで回収されるフラグに、きっと驚くこと間違いない。
評価
物悲しく、どこか陰鬱で、少し寂しい雰囲気が漂う作品。
あまり知名度は無いが、それで良し悪しが決まるわけではないことを我々は知っている。
クライムサスペンス好きにはお勧めの一作だ。
以下、考察及びネタバレ注意。
残したい過去

妻子が居たことに間違いはない。そして彼女らはおそらく亡くなったことも。
隠れたベティを探しに庭をベルタが歩き回るシーンでは、ぐしゃぐしゃになった乗用車の残骸を見ることが出来る。
これらから、ホアキンは自動車事故の以前は下半身に損傷を負っておらず、妻子とともに幸せな暮らしを営んでいたのだろうことが推察される。
不幸な事故が彼の暮らしを何もかも変えてしまった。
何故庭に?

自宅の庭にこのような大事故の形跡がある車が置いてあることに、我々は疑問を禁じ得ない。
どう考えても軒先でこの事故を起こしたはずはない。
であるならば、この車両はホアキンが望んで自宅へレッカー搬送させたということになる。
このことから彼が、妻子の痕跡を少しでも残しておきたいと望んでいることが浮き彫りになる。
それが例え、辛い事故の記憶だとしても。
カシミーロ

前項から、ホアキンの「保存しておきたい」という願いは判明した。そしてそれは、カシミーロにも言える。
冒頭で医者に治療を願い出る電話をかけていたのは、彼が単に愛犬家というだけの理由ではない。
亡き子供の良き友人であったカシミーロを、少しでも長くそばに置きたいと願うからだ。
幸せだった頃の身の回りの全てがひとつ失われるたび、やりようのない気持ちを抱えているはずだ。
結局、苦しみの中で生かしていくよりは安楽死を選んだホアキン。
断腸の思いであったことは想像に難くない。
自宅

残しておきたい過去の最たるものが、家族と暮らした自宅である。
今はもう、独り身には不釣り合いに大きな家を守るためだけに、強盗の横取りを画策したのだ。
この家を失ってしまえば、妻と子の存在した証拠すら世界のどこにもなくなってしまうのではないか。
きっとそういう風に思ったのだと推測する。
HDD?

作中でホアキンはしきりに地下へこもり、壊れたPC部品の修復にあたっている。
これについて全く明言されないので、初めはこれが彼の生業なのかと思っていた。
しかし収入の入る様子もなく、また一向に作業の捗る描写も無い。
やけに修復シーンを繰り返し映すことに疑問を感じ、やがてこれは彼の収入を支える仕事ではない、別の何かなのだと行き当った。
完全に当て推量だが、おそらく自動車事故の時に車内に積んでいた自前のPCなのではないか。
そして中に残っているのは、亡き妻と子の懐かしいビデオに写真。
彼が修繕に腐心している理由はここにあるのではないか?
真相は分からない。
伏線回収

恥ずかしながらストーリーに引き込まれ過ぎ、尚且つ役者の演技があまりにも自然だったもので、初めはこの「安楽死クッキー」の存在をすっかり忘れていた。
美味そうに毒入りクッキーを頬張ったグットマンは、運転中に血を吐いて衝突事故を起こす。
これはホアキンの過去の事故との対比表現だろう。
同じように横向きに倒れる二人が交互にカットで挟まれる。
彼がその後生き残ったかは定かではないが、仮に一命を取り留めたとて、死体入りのトランクを公にした彼には獄中の未来が待っているだろう。
ラストシーン

エンディングでホアキンとベルタ、ベティにカシミーロは外出の様子を見せる。
これが単なる外食や買い物でないのは、すっかり物の片付けられた部屋で示唆される。
ベティの手にはキャリーバッグが握られ、きっとこれが家を引き払う瞬間のワンシーンなのだと理解する。
考えてみれば当然だ。家を維持するための大金は灰になり、差し押さえは免れなくなったのだ。
問題は彼らのその後の関係性だが、繋がれた手を見れば自然と笑顔がこみ上げるのは筆者だけでないだろう。
ホアキンは、一歩前に進むことを選択した。
終わりに
視聴者の想像力を掻き立て、思考させる。
こういう映画はコアなファンに高く評価される一方で、頭を使って作品を紐解くことに不慣れなユーザーからすると「わけがわからない」と投げられてしまう一面もある。
昨今の説明過多な描写を含む作品の不自然さは、そういう背景を抱えているのだ。
多くを語らぬという、茨の道を敢えて選んだ、エンド・オブ・トンネル。
素晴らしい作品を観ることがかなった。
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