【映画】オートマタ/人類の後継者はカワイイG【ネタバレ:レビュー】

SF

ふたつのプロトコルを巡るロボットと人間を描くSF映画、Automataをレビュー及び評価、感想、解説 。

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あらすじ

  1. 生物への危害を禁ず
  2. 自他の改造を禁ず



ロボット安全規格(プロトコル)。全てのロボットはこの規格に順じ、例外は無い。


2044年。砂漠化で荒廃し、太陽からは日々放射線が降り注ぐ地球。
もはや人類のための緑と水は失われ、大幅な人口減が種の存続すらも危うくしていた。

そんな折、人類を助ける為に投入されたのが、大量のロボット”ピルグリム”たちだった。
彼らは人口の雨を降らす機械雲を操り、拡大する砂漠化を食い止める任務を与えられる。
だが努力の甲斐なく、計画は頓挫した。


ロボット制作を一手に引き受ける販売元のROC社。その保険調査員であるヴォーカンは、ある日奇妙な調査を依頼された。

「自己修復しているロボットが居た」

これが事実であれば由々しき事態ではあるものの、そもそも組み込まれたプロトコルは変更不可。
いぶかしいものを感じつつも、調査に向かったヴォーカン。だがやがて、彼は思いもよらない事態へ巻き込まれていく。

秀逸なOP

モノクロで構成されたオープニング

モノクロームのカメラロールと共に流れるOPは、時代背景や過去のしがらみを短時間で窺い知る素晴らしい出来だった。
冗長な説明やテンポの悪い描写を省くための、最大効果の時短を実現した。

こうした一枚絵の連続というものは、見る側は意外なほど無意識だ。
しかしいざこれを自らで実現しよう思うと、思いのほか困難である事実に行き当たるだろう。
時の流れや人々の感情を表そうと思ったら、喋らせたり動かしたりする方が何倍も容易なのだ。

こうしたモノクローム写真の数枚で、数十年のムーヴメントを簡潔に伝えたのは圧倒的に評価されていい。序盤も早々に、一石三鳥の腕前を見せられた。

完璧に狙いすました”不気味の谷”

不気味な容姿をたたえるクレオ

作中に登場する性サービスを行うロボット、クレオ。

彼女の目鼻立ちを見て、「少し気味が悪い」と感じる方は多いだろう。


これは”不気味の谷現象”と呼ばれる、極めて論理的な現象になる。

不気味の谷の図式
Wikipedia



原始的なロボットを始点として、容姿が人間に近付くほど愛着や美という、プラスの感情は高まっていく。

しかしある一点を境に、この反応が急激に低下を見せ、なんと始点の感情を振り切ることになる。
マイナスへ落下した印象は、プラスの「好感」からマイナスの「嫌悪」へと移行する。
そしてまたあるポイントまでさしかかると、急激にプラスの感情が高まっていくのだ。

この容姿と感情の関係性を示した図式こそ、”不気味の谷”と呼ばれる由縁になる。


実際のところクレオは、グラフでいう””の最下層部分ではない。
谷の下降部分が開始する、最初の付近でとどめられているという印象を得た。
これは登場の長いロボットがあまりにも不気味だと、作品全体に嫌悪感を与えてしまうからだ。

本当に彼女を不気味にしたいなら、実はある一点を細工するだけで事足りる。
それは「」だ。
黒目に鈍い光を与え、その大きさ自体も増す。恐らくたったこれだけで、何倍も不愉快なロボットが出来上がっただろう。


敢えて最高品質のアンドロイドを描かず、「やや不気味」をキープさせたクレオ。
しかし不思議と物語が進むにつれて、彼女に愛着を感じるのは筆者だけでないだろう。

対立構造ではない

荒野で対峙する人間とロボット

ロボットと人間、というワードだとついつい、「ターミネーター」などの対立構造をイメージしがちだろう。


しかし本作は、決別する主従を描くものではない。

厳密に言えば一部人類側はロボットの独自性を謀反と感じ、彼らを始末しようと画策する。
だがロボット側にそうした意識は無く、むしろヴォーカンは最後まで機械に救われる者として描かれるのだ。

このような構成に対して、どっちつかずの半端な物語という印象を抱くかもしれない。
だが作品の根底にあるテーマを見出せるか否かで、そのイメージは大きくカタチを変えるだろう。

進化と淘汰

赤ん坊に触れるクレオ

メインテーマは”進化と淘汰”である。

かつて恐竜が支配し、大海原を原核生物が漂い、そして真空の宇宙であったように。


作中ではロボットに対して横柄な態度を取る者や、奴隷のように扱う者が大半である。
しかしこれは滑稽なことに、種の現状を正しく認識しない人類の愚かしさを映す鏡でもある。
台頭する新世代へ対して、旧世代が論理的でない仕打ちを強いるのは人間同士でも歴史上で多く見られてきた。

面白いことに、ロボットは絶滅の危機に瀕した人類に対して、思いのほか慈愛や憐れみを見せる。
これは作中設定のプロトコルによるものではない。既にその縛りは、大半が解かれているのだ。
だがこうした動きを人類側で置き換えると、あるひとつの類似点を見出すことが出来た。


我々も、絶滅危惧種をケージの中で飼い慣らしているではないか。

今どきダーウィン進化論?

蛇足の項。


ちょっと看過し辛い設定として、制作はダーウィン進化論を未だに信奉している様子が見られるということが挙がる。

だがもはやティーンでも授業中にこれを嘲笑う時代だ。
宗教的理念を抱く者と最新の科学論に興味のある者は、10年以上前からダーウィン進化論に懐疑的、或いは全否定の姿勢を見せてきた。

ダーウィン進化論はただの消去法

元々ダーウィンは、消去法でこの理論を持ち出した。

当時現存していた化石や地層のエビデンスから、「今ある証拠で言うと、こうなるかもね」を提唱したのみだ。
学術的要素などの否定材料はてんこ盛りで存在するが、最も理解しやすく身近な例として挙げるなら、「人間の進化速度」が好ましいだろう。

50年でジェットエンジン機、インターネットを作り出した



他にも多々あるが、直近の大きな発明はこのようなものだろう。


上記は着想を得てからの開発期間だが、別段2000年かけて、と置き換えても不都合は無い。

なぜなら比較対象となるのは、ダーウィン進化論によって提唱される初めの人間が登場してからの年数だからだ。

ヒト属ホモ・ハビリス登場は200万年前

200万対2000。
およそ、1000倍の期間だ。

ホモ・ハビリスは既に石器を使っていたらしいが、はて彼らは、いったい何をして毎日を生きていたのか?
200万年も使ったにしては、全く進化していないではないように見える。

現代の人間が200万年使ったら、タイムマシンが各家庭に普及するぐらいの生産性は持ち得るのではないだろうか。


色々掘り過ぎるとオカルト寄りになるのでここらでまとめると、

現代で進化を扱う映画にしては、猿が木から降りた話を持ち出すのは失敗だった



評価

世界観、ロボット描写は良し。ストーリーの薄さだけが気になる。



SF好きには、ひとつの新しい解釈をインプットするチャンスだ。

★★★☆☆
三ツ星の良作。
オートマタ(字幕版)
オートマタ(字幕版)

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