QUEENのリード・ボーカル、故フレディ・マーキュリーを描いたヒューマン映画、Bohemian Rhapsodyをレビュー及び評価、感想、解説 。
前提
作品を観る上で今回の筆者の立ち位置は、
という状態であることを前もって記しておく。
クイーンを知らなくても楽しめる、は大嘘

全編通して最も感じるのが、
この印象だ。
順繰りに過去の出来事を駆け足でかいつまんでいるだけで、間にすっぽり空いた空虚な時間の補完は完全に観客へ放り投げている。
- 歯の出た男が、
- バンドを組んで、
- エイズでこの世を去った
あらすじを書こうと試みたが、この程度の情報量しか結局は得られなかった。
それほどストーリー部分に関しては、薄っぺらで貧困と言える。
ユーザー間で二極化する”前知識量”
困ったことに、新参のファン層やクイーンに興味の無い者と、元来のファン層でこの印象は大きく異なる、ということが挙がる。
彼の半生の大筋を知っている者からすれば、尺の都合で多少の駆け足があっても脳内補完で事足りる。また逆に、作中で省かれた事実と言うのはともすればカタルシスを得ることにも繋がるのだ。
当時からのファンが長年温めた高説を喧伝しようと発奮するのに、これ以上の好機は無い。
一方で新参者。
正味、作品を観てもフレディ・マーキュリーについて語れることがほとんどない。
なんとなく概略は見えるものの、ディテールはさっぱり伝わってこないのだ。
歯の出た若者の、サクセスストーリーとしか表しようがない。
仮にフィクション映画だとしたら?
これをフィクション映画でやったら、それはもう大変なことになる。
しかし新参者にとっては、フレディ・マーキュリーやクイーンの存在はフィクション上のバンドに近い印象しか持っていない。
前知識が無いというのはそういうことだ。
にもかかわらず高評価の多い本作。これはすなわち、クイーンがいかに知名度を持ったバンドであるかを表している。
多くのユーザーにとっては、彼らを知っていることは多数派であり、マストでもある。
つまり結論として、
この図式が成立する。
音楽のパワー

多少青臭くとも、この意見には同意する。
そしてこれらは肯定的な意味合いで使われることが大半だ。
だが有識なる諸兄らには既知の事実だが、こうした音楽の力を悪用する者がメディア媒体には潜んでいる。
曲でシーンを誘導
- ハリボテゴースト登場も、弦楽器の不協和音多めで恐怖感アップ
- チャチな宗教観テーマでも、パイプオルガンやグランドピアノで妙な意味深さアップ
- とりあえず泣かせたいならクライマックスに主題歌挿入で感動力アップ
これらは音響効果で感情を誘引するテクニックになる。
ちょろい観客らはこういった催眠に非常に弱く、安上がりに印象を操作することが可能になるのだ。
話をボヘミアン・ラプソディに戻す。
音楽を扱うバンド作品とあって、作中では曲の流れる場面が半分以上を占める。
これは非常にお膳立ての利いた、旨味溢れるシチュエーションだ。
どこで音楽を挿し込んでも不自然でなく、容易に観客のイメージを誘導することが可能になるのだ。
ライブ・エイド

クライマックスシーンのライブ・エイドは最たる例だろう。
CGのオーディエンスにウェーブさせ、オリジナル音源に合わせて口パクをさせる。
あとは長めの尺をたっぷり取れば、もうそれなりに仕上がったも同然。
これ以上にない、音楽のパワーで強引に牽引するシーンになる。
なお、オリジナルはYouTubeで見れる模様。
映画でも、ここで感涙せしめる観客が続出したらしい。
しかしその琴線、本当に”映画”に揺り動かされたと、言い切れるだろうか?
本当に映画に感動しているか?
断言してもいいが、この映画を観て感動した、という意見の多くは誤りだと思う。
大半は、
これが真実だろう。
映画ボヘミアン・ラプソディでなく、クイーン、そしてフレディ・マーキュリーの歌声に胸を動かされているのが実状だ。
何故この部分のすり替えが行われたかといえば、それが前段までの催眠の話に繋がる。
映画のシーンに売り上げの良かったベストトラックを挿入すれば、どう考えても感動を引き起こせる。
しかしその実態は、名曲に完全に寄りかかった、怠惰なる手抜き映画の本質。
貴方も騙されていないか?
挫折の無い人生?

稀代のヒットスターの生涯は、挫折を一度も味わわない順風満帆な航路だったのか?
作中でフレディ・マーキュリーが作詞やレコーディングに悩む姿はほぼ見られない。
彼を悩ますネタは、性関係やマネージメントの軋轢ぐらいしか描かれないのだ。
だが歌詞にあるように、
無論これは当て推量なので、もしかすると彼は一度も音楽制作で悩んだことのない天才だったのかもしれない。
だがメインである音楽で一度も挫折を味わわず、ひたすら邁進劇を繰り広げる彼の姿に疑問を禁じ得ない。
およそどんな成功者も、かつての失敗を語らないことはないのだ。
作中の要素のみで前段の歌詞を考察すると、
- 嫁さん
- 性関係
- メンバー不和
- ソロ活動の孤独
- プライベートも孤独
これらしか見えない。
肝心の要素がぽっかりと、大きな空洞を空けているかのようだ。
評価
往年のファンは大いに楽しめる反面、知識の無い者が単体作品として触れる場合は、映画としての体すら成していないことに注意。
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