消えた死体を巡るクライムホラー映画、El cuerpoをレビュー及び評価、感想、解説、考察。
あらすじ
心臓発作にてこの世を去った大富豪、マイカ。突然の死に家族は狼狽え、涙する。
しかし感傷に浸る間もなく、警察から一本の電話が入った。
「彼女の遺体が消えた」
遺体安置所に呼び出された夫のアレックス。何を隠そう彼こそが、一見して病死に見えたマイカ殺害の張本人。
そんな彼にとって、待望の妻の死を示す唯一無二の証が消えた。
狼狽するアレックスの周囲で、奇妙なことが起き始める。
始末したはずの証拠。在るはずのない携帯電話。暗躍する第三者。
幻覚、陰謀、蘇り。
果たしてマイカの消えた遺体に秘められた真相とは?
バッド・ガイ

遺産を持った妻が死んだ時、真っ先に疑われるのは亭主。
数多のクライムサスペンス作品を観て来た方ならば容易に辿り着く推理は、本作でも有効。
開幕で早々に彼の不貞行為は発露し、なんとも絵にかいたような若い女子と不義理を果たす様は、見事なまでの「ワルいオトコ」である。
しかし貞操観念以外の部分ではことのほかメンタルが弱く、ちょっとしたボロがどんどん積み重なっていく。作中では彼のミステイクが累積するたびに、新たな事実が露見するシステムだ。
一応殺人犯である彼だが、生前の妻の傲慢さと傍若無人ぶりにより、視聴者の意識としては味方寄りに位置付けられるような施しがされている。
ウーゴ・シルバのメガネ姿はなんとなく愛嬌があり、どうにか危機を切り抜けてほしいような同情心も湧く。
便器に落とした紙切れを頬張る姿など、ちょっと胸が苦しいくらいだ。
ジャンルを不明瞭なままに

同制作チームの「ロスト・アイズ」では冒頭から思い切りホラーを匂わせておいてその実、現れた真相が大きく乖離する結末だった。筆者としてはかなり落胆した思いがある。
本作でも同じシステムが取り入れられており、正直若干の不安も感じたことは事実。
だが蓋を開ければ、それらは杞憂。敢えて最初からいくつかの可能性を提示しておくことで、不愉快なミスリードにならない仕掛けがされていた。
大きく分けると、
このようになる。
進行中にどの筋書きを選び取るかは完全に視聴者に委ねられており、終盤までその真相は明かされない。
またクライマックスで回収される伏線部分も爽快感がある程度約束されているので、ガッカリする時間の使い方にはならないだろう。
同じような構成でも全く違う感想を得たのは、やはりストーリー構築にかける情熱以外に無いと思う。
やる気に満ち溢れたものを感じるには、それなりの努力の影がやはり必要なのだ。
ホラー要素は薄い

ビックリドッキリの特大SEで心臓を縮めさせる技法は見られず、あくまでミステリー部分がメイン。要所で薄気味の悪い演出は用いられるが、生粋のホラー映画と比べれば緩めに抑えられている。
これは前述の「ジャンルを不確定にしておく」という前提のための必須ファクター。
逆を返せばこれは縛りでもあり、背筋の寒くなるようなシーンには巡り合うことはないだろう。
一点だけ不可解なのが、ハイメ警部の妻が事故死したシーン。やけにゴア表現をその部分だけ強調されており、ここまでその手の演出が無いと信じていたユーザーは驚いたのでないか。
狙いとしては痛ましさや、警部の心中を描くことだろう。だが敢えてグロテスクな損壊を見せずとも、演技やカメラワークでそれらは表現可能だ。
ショッキングな一面で別方向のアプローチを目論んだとも見れるが、正直なところ、上品に収まっていた作品イメージを自ら一段貶める行為になったような印象を持った。
伏線回収

最終的に謎の明らかになるシーンでは、フラッシュバックと各場面の裏側の連打というどこかで見覚えのある手法が取られた。
これは明らかにホラーファンお馴染みのジェームズ・ワン作品からインスパイアを受けている。ラストの台詞「TicTac」のシーンは、紛れもなくSAWシリーズのオマージュだ。
しかし爽快感はともかく、ジェームズ・ワン作品に比べればやや疾走感で劣った。これはBGMがうまくマッチしなかったのが最大の問題だろう。
またよくよく見直すと辻褄の合わない事柄や、「もっとこうすれば良かった」という設定が素人目にも見えてくる。
中でも最大のミステイクは、警部が娘の名前を序盤で明らかにしたことだ。
最重要人物である彼女の名前を序盤から中盤で敢えて明かす必要性は一切無く、存在だけを匂わせて最後に、「彼女は私の娘だ」という謎解きを示す方が爽快感は倍増しただろう。
「嘘をつくときは、本当のことを出来るだけ混ぜる」
これは、稀代の大嘘つき曰く。軽々に偽名を使ってしまったことで、最も重要なアハ体験を逃すハメになったと言わざるを得ない。
評価
謎解き好きには概ね勧められる一作だった。

以下、考察及びネタバレ注意。
矛盾点・疑問点
ハイメ警部と、娘エヴァによる緻密な計画殺人だった真実。
しかし要所で、整合性を欠く事実や事柄が見当たらないだろうか。ここではそうした不整合な部分を解説しよう。
マイカ殺害の首謀者

今回の計画にあたり、最初のトリガーとなるのはマイカをアレックスが殺害することだ。
この引き金なくして計画は進行せず、親子の復讐劇も幕を開けない。
もちろん復讐の最終的な目標としては、マイカ及びアレックス両名の殺害になる。
だが作中でマイカを殺害したのは、あくまでアレックスの能動的な意思であったような部分が気にかかる。いつになるのか不明瞭な殺人を期待して計画を忍ばせておくのは、精神衛生上厳しいものがある。
であるならば至極当然のこととして、実際にはエヴァが主体的にTH-16を用いた殺害を指示していたはずだ。
エヴァが容易にアレックスに毒物を摂取させることが可能であった描写から見るに、彼らの間で密約が交わされていたことは間違いない。
しかし作中で「離婚せずに別れる方法がある」と提示したのはアレックス。
またエヴァが悪い顔で殺人を仄めかすシーンも見られず、この部分で疑問を残さざるを得ない。
なぜ警備員を脅かすのか?

銃撃されて持ち場を逃げ出した警備員、アンヘル。
現場に残された弾丸からアレックスによる襲撃とする証拠を捏造するには至ったが、そもそも彼は、こんな目に遭う必要があったのか?
ハイメ警部はここまでを自分ひとりで行った。これほどの技術と知識がありながら、なぜ老骨の警備員ひとりを捕縛しておくことが出来なかったのか?
合理的に考えれば、彼を縛り上げて警報でも鳴らしておけば、いずれは誰かが異変に気付いてくれるはずだ。
遺体安置所から追い出すのが目的?
捕縛を選ばなかった場合、ハイメ警部は時間的な猶予を大きく失う。逃げ出したアンヘルによって警察を容易に手引きされれば、遺体を運ぶ自分を目撃されるリスクは格段に高まるのだ。
であれば、逃げ出させたアンヘルが車にはねられるまでがセットでないとならない。
しかし運否天賦でドライバーの不注意に賭けるのは、あまりにも分が悪い。
ならば不注意なドライバーを警部が前もって用意しておくのは必然で、金で雇った何者かに死なない程度の加減で彼を轢いて貰わねば困るのだ。
彼が仮に死んでしまうと、唯一の証言者を失うことになる。
ミスで取り逃した?
警部の単純なミスによってアンヘルに目撃されたとしたらどうだろう。
これを疑問に思わなくてはならない。
仮にミステイクで目撃されたにしろ、手にした銃で警備員を撃てばよりアレックスの罪は重く、容易に令状の発行及び拘束が可能だ。
土壇場で良心が芽生えて思いとどまったとするならば、そもそも最初からアレックスにTH-16を飲ませるよりも、彼を投獄する道を選ぶべきだ。
なぜ死体を失踪させたのか?

最大にして基本的な疑問。どうしてハイメ警部は、死体をわざわざ隠したのか?
死体遺棄及び、殺人罪をアレックスに着せるため?
- 自身と娘の復讐を悟られないように、アレックスに全ての罪を着せたのか?
実際に妻を殺害したのはアレックスであり、明らかになっていない潜在的な罪は、
である。
ここでポイントなのは、TH-16が解剖後も検出されない毒物ということだ。
またその存在は警察も掴めておらず、現にマイカは検死されることなく埋葬を待つ身だった。
よって死体を遺棄せずにアレックスに毒物を飲ませるだけでも、復讐劇は完遂していた。
という新聞の大見出しを飾るのみで、追及の手はハイメ親子まで伸びることは考え辛いだろう。
わざわざ死体を持ち運び、またTH-16の存在を公にすることは自身を危険に晒す以外のことはなく、デメリットでしかない。
また容疑者死亡とて、録音したテープでマイカ殺害の概要は明らかになっている。同様の死因でアレックスが急死すれば、間違いなくTH-16による殺害が示唆されるだろう。
結論としては、アレックスに罪状を被せる為に死体を遺棄するのは考え辛いということだ。
単純に罪を免れる目的ならば、何もせずに全ては完結した。
死んだ後まで危害を加えようとした
ハイメ自身が語る言葉。「死人に鞭」ということだろう。
また彼の精神をかき乱し、疑いの目を植え付け、最後には罪を着せたまま服毒で殺す。
本来はこの説が作品としての正道なのだろう。が、作中でアレックスが精神摩耗を見せたり、自分自身すら信じられない、といった描写が圧倒的に足りない。
彼の自壊や精神崩壊を目論むならば、この手の揺さぶりは必須。また軽々に殺害してしまうよりも、獄中で狂わせる方が長い苦しみを味わわせることが出来ただろう。
「死んだ後まで危害を加える」というコンセプトは見えたが、それをアレックスにまで適用するのはいささか早計であったと感じる。
終わりに
本作が抱えるあらゆる矛盾点を、ひと言で解決する魔法のワードがある。
つまり本作は「シーン」という手段を目的とし、「シナリオ」という目的を手段にしてしまった。
撮りたい場面に符合するように、あとから脚本を付け足していく、或いは書き上げるシステムだったに違いないだろう。
この順序で撮影すると、どこかしらで綻びが見える。全体に漂う不整合感の正体はこれだ。

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