山間の小屋でに集まる男女を描いたサスペンス映画、Enter Nowhereをレビュー及び評価、感想、解説、考察。
あらすじ
クルマをスタックさせたトム。
ガス欠で困り果てたサマンサ。
コンビニ強盗のジョディ。
三者はひと気のない山奥の、質素な山小屋で出会った。
共に遭難者である彼らは知恵を絞って脱出を試みるものの、山は奇妙な魔力によって遭難者たちを逃がさない。
やがて共通点の無いと思っていた彼らの間に、奇妙な符合が見え始め……。
ネタバレ概略
- 1.遭難ひと気のない山中を彷徨うサマンサ。彼女は質素な山小屋で、トムという男に出会う。
彼らは共に、遭難している同士。 - 2.三人目翌日。車からガソリンを抜きに行ったトムの帰りを待つサマンサは、小屋の外に倒れている女性に気付く。
彼女はジョディという。 - 3.堂々巡りトムは脱出を図るために山小屋の周囲を調べ尽くす。
しかしどれだけ歩いても人の姿はなく、また奇妙なことに一直線に歩いた先には、同じ山小屋が現れてしまう。 - 4.齟齬今居る場所がウィスコンシン州だとジョディは言い、サマンサはニューハンプシャー州だと言う。
そしてトムは、サウスダコタ州と。 - 5.地下壕徐々に異変を感じ出した一同。次の日彼らは、脱出のために全員で山を歩くことにした。
そこで枯れ葉の中に隠された防空壕を発見する。 - 6.ドイツ地下にはドイツの地図と、ヴィンテージのワインが並べられている。
サマンサは父がドイツ人であるため、多少のドイツ語に心得があった。 - 7.一周食料を持って立ち去る一同だったが、やはり山からは抜け出せない。
どれだけ歩こうとも同じ山小屋にぶち当たるだけだった。 - 8.共通点全員の共通点として、両親のいずれかが死亡していることが挙がる。
サマンサとジョディの父は戦死、トムの母親は死刑に。 - 9.偽札ジョディは強盗で得た札束をサマンサに見せる。しかし彼女は妙なことを言った。
1984年発行の紙幣を見て、「未来のお金を発行するなど聞いたことがない」と。 - 10.時間サマンサは1962年、ジョディは1985年、トムは2011年。いずれも異なる時代を、現在の時間と思っていた。
- 11.四人目その時小屋の外に、ドイツ人の男が現れる。彼は銃で全員を制圧すると、小屋の中に縛り上げた。
- 12.大戦全ての符合から、今居るのが1940年代のドイツ山中であると察した三人。
- 13.首飾りジョディ、サマンサ、そしてドイツ人。全員が同じネックレスをしていることが発覚する。
- 14.血縁居合わせた四人は全員が血縁者、親子関係にあった。
- 15.記憶全員には死の夢という共通点もあった。サマンサは出産に伴う死、ジョディは死刑、トムは自殺。
それらは夢でなく、実際の記憶だと思われた。 - 16.使命未来を変えるために集められたことを知る一同。
全ての根源であるドイツ人のハンスの死。彼を救うことが出来れば、悲劇的な未来を回避出来るかもしれない。 - 17.暴発事情をハンスに説明しようとする三人だったが、任務遂行中の彼には通じない。
やがてトムと揉みあいになった末、暴発した銃弾がジョディを貫いてしまった。 - 18.消失ハンスを追うトム。しかしジョディが死亡した瞬間に、彼は霞のように消えてしまった。
- 19.避難空爆の始まった山中。時間が無いと悟ったサマンサは、強引に父ハンスを防空壕へと連れていった。
- 20.分岐路1985年。ジョディはお腹の子供と母と共に、海の見える家で幸せに暮らしていた。
超質素、なのにグッド

全部入れたら、絶対面白いって言えるの?
質素。
本作を表すにこれ以上の言葉は無い。
- ほぼ全編が枯れた木々と色の無い山
- 登場人物、概ね4人
- 派手な演出やBGM排除
こういった要素を羅列すると、いかにも駄作の雰囲気が溢れているだろう。
また特殊効果は後半の一部分のみで、それすらもクオリティはたいへん低い。
が、このような一面を覆し得る魅力が、本作品には詰まっている。
まるでけばけばしいエフェクト盛りの昨今映画を嘲笑うかのように、too washedな山小屋で起きる事件に我々は引き込まれていくだろう。
ストーリー、演出、設定、演技。
フィクションの基礎を洗い直すかのような古臭くて古典的な手法が、視覚効果に頼り切った我々の目を醒ます。
パッと見で忌避したくなるような地雷臭だが、実態は優良作に相応しい一品だ。
特にクライマックスシーンで起きる爆撃など、逆にもっとクオリティが低くて良かった。
大事なものを思い出させるような、そんな映画。
設定や諸々は古い

とにかくあらゆるものが古臭い今作。
40年前の映画と言われても違和感なく、逆に40年前でも実現可能な映像であったことを示す。
要所で明らかになる人間同士の関係性や、それにまつわる顛末。
実際、目新しいものはない。
ここが不思議なポイントで、なぜかやり尽くされた設定と展開でも飽きが来ない。
恐らく見せ方が絶妙なのだろう。どの場面においても、白けるようなことはない。
誰にでも思い付きそうな設定と、誰にでも書き下ろせそうな脚本。
なのにどうしてか、視聴をやめようという気にさせない不可思議な魅力。
唯一残念でならないのが、和ジャケである程度のネタバレが起きていること。
仮にあの図を見ていなければ、もっと多くの驚きや謎を感じることが可能だったろう。
原ジャケではあのような不埒は起きておらず、国内向けのみの罪になる。
ツボを突くジョディ

- パックマン
- マイケル・マイヤーズ
- エイリアン
割とミーハー気質なジョディによるこうしたワードが、微妙に中年世代のツボを直撃してくる。
作中のおちゃらけ兼不良ポジションを持つ彼女ならではの、言い得て妙な発言が愛らしい。
これらは真相を読み解く上でのヒントでもあり、また若年層以外へのシンパシーを果たす役目も担った。
逆に言えば若者には、「なんのこと?」と言わしめる部分でもあるが、特に重要な部分でないのはこれ幸い。単なるオマージュやパロディの類いとして、知っている者だけが楽しめるオマケ要素と思っておこう。
驚くほどのハッピーエンド

今どき珍しい、純然たるハッピーエンド。
解釈に幅を残したり、ラストで迷いを持たせる類のエンディングは嫌った形になる。
これもまた古い。昔々の映画ではこういったラストシーンは珍しくなかったが、昨今では意外に見られないのだ。
しかもこれがまた、口を挟む余地のないくらい望まれたものであること。
我々の誰しもが彼らの不幸を望まないだろうし、こうあってほしいという未来をそのまま実現している。
バッドエンド大好物の筆者ですら、このエンディングに異論は無い。
ただし一部、SFファンには懐疑的な事実も含まれる。
これは物語の特性上仕方のないことではある。またこの部分こそ、昨今の映画が当該設定を嫌いつつある理由でもあるのだ。
コアなファンには整合性を追求する声が多く、それがビッグタイトルであれば尚更になる。
敢えてこの茨の道を選ぶあたり、やっぱり古さを感じるのが本作の特徴。
しかし再三言うように、このハッピーエンドを個人的には否定したくない。
一応、後段の考察でこの事実に触れることにするものの、やはり額面通り描写をそのまま受け取るのが正しい作法に思えるのだ。
評価
古臭さから忌避すると勿体ない、優良作品である。

以下、考察及びネタバレ注意。
コンビニおじさんは何者か

金庫の中を見せることで、山小屋へ四名を誘った謎の男。
彼の正体はなんなのか?
目的
ラストシーンで幸福な未来を手にしたジョディとサマンサ、そして胎児としてそこに居ると思われるトム。
これらから、過ちの過去を清算させ、正しく豊かな未来へ導くことが目的であると思われる。
ジョディの代わりに強盗に入った女性も同じ道を歩むと示されており、すなわち万人を救うために日々邁進する善人であることが窺い知れる。
また描写こそ無かったが、トムとサマンサもいずれかの段階で金庫へ導かれたと思われる。
正体は?
これらには全く言及されない。
時の神クロノスか、タイムトラベラーか、或いはド級のサイキックか。
判明しているのは、人類にとって有り難い人物である、という事実のみである。
特殊能力
やや特殊な点として、いずれの人物も死亡時にタイムリープしたのでなく、それ以前の段階で山小屋に呼ばれている事実だ。
また各々は死亡の記憶を持ち合わせている。これらから読み取れるのは、彼らは純粋な自分自身でなく、生前の情報をコピーされた分身体のような存在ということだ。
また作品の舞台である山小屋にて変えた過去が、その後の未来に遡及する面も見える。
つまり時間には連続性のあるという解釈が持たれ、そこに変更を効かせる能力者であることが判明している。
ではやや野暮になるものの、次項からタイムパラドックスを含んだ結末への足取りについて言及していこう。
なぜハッピーエンドになったのか?

ここでは徹底的に好意をもって、なぜ彼らがハッピーエンドを迎えることが出来たか、を理論的に説明する。
まず前提としてこのタイムリープは、
この認識が必要になる。
前述したように、このドイツ山奥に居合わせたトム、ジョディ、サマンサはコピー体。
実際の彼らは2011年までに全員死亡しており、あくまで切り取られた分身である。
よってこの時代での彼らの生死は、その後の未来には影響を及ぼすことがない。
このため、ラストシーンでジョディは生きており、トムの生まれる未来も繋がった。
コンビニおじさんはこの不幸な未来を変えるには、ドイツ兵ハンス生存が全てのキーになると前もって知っていたことになる。
よって完全にお膳立ては済んでおり、あとは彼らの気付きだけが必要になる状態だった。
タイムパラドックスは?

作中で一度だけタイムパラドックス解消の現象は起きており、それがトムの消失だった。
これはジョディ死亡に際して起きた現象であり、この部分で設定の齟齬を疑いたくなるだろう。
なぜなら前述で、「この時代での生死は、その後の未来に影響を及ぼさない」としたからだ。
仮にタイムパラドックスに従った結果が伴うとすると、作中の行為は全て意味がなくなる。
なぜならば、過去にハンスが子孫に救われるという過去は既に起きているはずだからだ。
これは分岐の無い一本道の宇宙論では必定になる。
未来から過去に遡って行う行動は、既に過去でも起きているはず、という理屈。つまりこれこそ、タイムパラドックスを指す事柄になる。
よってこのままでは、四人の死亡する未来は変わらない。
ではなぜハッピーエンドをもたらすことが可能だったか?
これを理論的に示すとすると、並行宇宙説ならば説明可能になる。
並行宇宙説
すごくざっくり言うとこのような解説になる。
例えば、流れる川をイメージすると良い。
並列した何本もの川は一見して同じように見えるが、川の中に棲む魚の種類や数、浮かぶ木の葉や岩石は少しずつ異なる。
また時にはダムのようにせき止められたり、或いは低地で合流したりと様々なことが起きる。
これを作中に当てはめると以下になる。

冒頭の世界からコピーされた三者が、ハンスの時代へ送られる。
ハンス生存の時点で川が分岐=並行世界誕生となる。
ジョディ死亡時にトムが消えたのは、世界分岐前になる。よってこの部分の齟齬を解消出来るだろう。
またこの段階で、コンビニおじさんの特殊能力がはっきりと示された。
覆水は盆に返れない
残念な事実として、既に起きたことは変えられない部分だ。
冒頭の世界線で起きた四人の死亡という結果は、ひとつの宇宙に刻まれた事実となる。これは不変だ。
エンディングの幸福な未来はあくまで別の世界線のひとつであり、あらゆる不幸を消し去ることはコンビニおじさんにも出来なかったということになる。
終わりに
実際にはこんな面倒な理屈をこねくり回す必要は無い。
この映画は単純に、「ハッピーエンドやったー!」と喜べばいい。それ以外は無粋だ。

コメント
失礼します
何年も前の記事に私も再鑑賞でたまたまこちらに辿り着きました
ラストのトムだけが存在しない事になってたと思いました
海辺のラストに『母サマンサとお腹の子と海辺を』と解釈されてますがトムの生年月日は1985/12/12であり海辺のシーンは持ってた新聞記事によると1985/10/10ですからジョディのお腹は10ヶ月の妊婦のお腹の膨らみのはずですが、ペタンコです
なので、私はトムは父親側の子供として、ラストのやはりジョディとは違う女性と強盗に押し入った男女の子供として生まれたのではないかと、悲しく思っていたので、解釈が違くて…でもどうなんでしょう、凄くモヤモヤして
色んな考察を探してしまってます