【映画】ミスター・ガラス/三つ巴のサイキック。全員集合感がスゴイ【ネタバレ:レビュー】

サスペンス

アンブレイカブル、スプリットに続くサイキックサスペンス映画、Glassをレビュー及び評価、感想、解説。

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あらすじ

大量の犠牲者を出した列車事故の一件から19年。デヴィッドは自らに秘めたる超能力を活かし、街の自警行為を密かに息子と行っていた。
緑のポンチョを着た彼の姿はいつしか、監視人と呼ばれるようになっていった。

ある日彼が街を”散歩”していると、通りかかった男から偶然、「罪のビジョン」を受け取る。
4人の女性の、誘拐。
急ぎデヴィッドが踏み込んだ廃屋には、紛れもなく囚われの民間人がそこに居た。

ぶつかり合う彼我。互いに相手が只者でないことを、一合目に悟り合った。
何を隠そう誘拐犯は、数年前にも誘拐事件を起こし圧倒的な膂力を見せた、多重人格者にして獰猛な超能力者、ケビンであったのだ。

しかし彼らが雌雄を決する間もなく、執行機関による制圧作戦が開始される。捕らえられたデヴィッドとケビンは、研究機関の独房に拘置されることになった。

そこでは超能力に懐疑的なステイプル医師による、セラピー療法を施術しているという。
驚くべきことにその施設内には、件の列車事故の真犯人、イライジャ(ミスター・ガラス)の姿もある。

こうして役者は揃う。果たして超能力者たちの運命は、いかなるものになるのか。

前提として

心療を受ける超能力者三名

まず大前提として、前々作のアンブレイカブル及び、前作のスプリットを視聴していないと作品の大半の部分で楽しみを損なうことになる。
今作はいわば”解答編”であり、超能力を示した三者の結末を描くものだ。

これは言い換えると、ミスター・ガラスという映画単体での価値が非常に希薄であるとも取れる。
正直なところ、前二作を視聴していないならば観る必要が無いのだ。
それほどに不親切で、薄いコンテンツであると感じた。

アンブレイカブルは一作目なので当然だが、スプリットはそれ単体でも充分な独自性を保っていた(続編としての要素はほぼ皆無だったが)
それがここに来て総集編のまとめ記事のような、中身スカスカのペラ紙を差し出した。
これは悪い意味の裏切りと呼ぶ以外にない。

というのも、ストーリーらしきストーリーが存在していないのが問題だ。検体の映像記録を延々垂れ流している中で、ときたまサスペンス的な疑心暗鬼を挿し込んでくるだけの怠慢ムービー。

あとは過去の伏線やら登場人物のその後をチラチラ小出しにしておけば、往年の熱狂的ファンは「おおっ!」と簡単に膝を打ってくれるだろう。実にイージー。

もっと濃いコンテンツでなければ、二時間という大きなリソースを消費する価値は見えない。

コンセプトが自己否定

水を吐くデヴィッド

本作は「自称:超能力者、スーパーヒーローの妄想癖を治療」というステイプル医師の施術で進んでいく。
つまりアンブレイカブルやスプリットで起きたことは、全てトリックやまやかしを用いた、奇術や道化の類いだったと疑わせる仕様になっている。

大胆にネタバレするとそれは過ちで、実際には超人的な能力を持つ新人類は存在しているという結論になるのだが。

なぜ前作までで敷いてきたレールに懐疑的にならせるのか、甚だ疑問だ。ミスター・ガラスの目論見を達成させる手法ならば、もっと他の描き方で良かったではないか。
ありがちなサイキックバトルや勧善懲悪を否定したいのは理解出来るが、二作も使ってお膳立てしたちゃぶ台を一度ひっくり返してまた戻す、というのは時間稼ぎ以外の意味合いを感じられない。


これが一作で完結するような、例えばレッド・ライトのような組み立てなら理解可能だ。
しかし膨大な時間をかけて築いてきた堅城を一度破壊する自己否定は、価値観の揺さぶりというよりは陳腐なこけおどしにしか見えなかった。

演者はグッド

多重人格を演じたジェームズ・マカヴォイ

演技力はやはり折り紙付きの一級俳優たちだけあって、素晴らしいものを見られる。

中でも20以上もの人格を演じたジェームズ・マカヴォイは最高だ。シームレスに多数の人間を演じ切るさまに、彼の真価を再確認出来るだろう。
特に女性的な仕草を表現する部分が凄まじく、姿勢や肩の入れ方で、同じ人間がここまで異なって見えるとは驚かせられた。

画像の場面では上着の着方で個性が異なることを表現しており、この演出は度肝を抜かれた。またノンストップで移り身をせわしく変えていくことが、いかに苦難であったかを感じずにはいられないだろう。フレームアウトしている最中の彼の姿も見てみたいものである。

壮大な自己矛盾

真実を白日に晒した三人

つまるところ、ミスター・ガラス、ケビン、デヴィッドは”真実を知る本当のヒーロー”のための布石だった。
彼らの自己犠牲によって、民衆は新たなステージに立つのだ。


上手くまとまっているようでいて、冷静にこのエンディングを分析すると思わず乾いた笑いが飛び出す。
なぜならこのクライマックスは、驚愕するほどの自己矛盾を抱えているからだ。

監視カメラに映った、四つ足で走る半裸の男や、金属棒を曲げるレインコートの男。これらを現実のYouTubeで貴方が見た時に、どういった感想を持つだろうか?

良く出来たフェイクニュース



概ねこのような感想を持つだろう。この映像がどれだけバズろうと、世界は変わらないし、人類もネクストステージに立つことはない。ミスター・ガラスは犬死であり、デヴィッドが報われることも絶対にない。

なにより最大のポイントは、映画とはフィクションである、という事実だ。
なので現実には当該映像部も勿論フィクションだし、流しているニュースもフィクション。
この虚構で織り成した世界にあって、なぜラストの投稿動画だけがフェイクとして扱われないのか?
ことの真贋を人々が見極める場面で、現実にはワイヤーアクションやCGを使ったムービーが、作中ではフェイクとして扱われないのは不思議でないだろうか?


あまりにも自己都合で回る世界観に、覆しようのない自己矛盾を感じざるを得ない。

評価

シリーズファンなら解答編としてオススメ。未見ユーザーは単体で見ないことを推奨。
★★☆☆☆
二つ星。
ミスター・ガラス (字幕版)
ミスター・ガラス (字幕版)

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