愛と希望への道を描いたサスペンス映画、Henry’s Crimeをレビュー及び 評価、感想、解説、考察。
あらすじ
道路料金所で働くヘンリーは、ある日野球の欠員を埋める為に、試合への参加を頼まれる。
道すがら銀行のATMでお金を下ろすと言い残して車を去った三人の仲間は、そのまま二度と戻らなかった。
車で仲間の帰りを待っていた彼は警備員に強盗の共犯として捕まり、わけも分からぬままに収監されることになってしまったのだ。
三年後、釈放されたヘンリーは失った過去の代償として、「やっていない犯罪」を「やった犯罪」にする為に、今度は本気で銀行強盗を企む。
下見を兼ねて、自分が逮捕された銀行前を訪れたヘンリー。そこで運悪く自動車で彼を轢いた舞台女優ジュリーとの出会いが、彼の運命を大きく変えていくことになる。
ヘンリー

元料金所職員。銀行強盗で有罪になり、現在では無職。
主体的に物事を選択することが著しく苦手であり、そのおかげで妻との結婚生活もうまくいっていなかったようだ。彼女は獄中に居る間に他の男と恋に落ち、あえなくその契りも潰えた。
失った三年間を取り戻すため、同房のマックスの助言から銀行強盗を画策することになる。
ジュリー

ロシア戯曲「桜の園」の主演女優。
口が悪く短気で、演技力はそこそこだが”心が入っていない”という監督のアドバイスに憤慨するも、自覚はあるようだ。
ヘンリーを銀行前で偶然轢いたことで、彼らの運命の歯車は大きく回り出した。
マックス

ヘンリーの同房である囚人。
刑務所の居心地に満足しており、出所を拒む変わり者。
仮釈放審議会ではいつも社会不適合者を演じており、そのおかげで23年間ものあいだ刑務所暮らしを満喫することに成功している。
ヘンリーの願いあって、出所して銀行強盗を手伝うことを決意した。
クライムサスペンスではない

銀行強盗を題材にしているが、それは物語の一側面でしかない。
本作を分類付けするならば最も近いのは「ラブロマンス」ではないだろうか。
便宜上サスペンスと位置付けてはいるが、些か遠いものを感じずにはいられない。
しかし甘ったるいデートシーンや、略奪愛で心をときめかせるような仕様は一切ない。
一般的な甘々純愛ラブストーリーや、結婚式で花嫁をかっさらう話が観たい方向けでもないのだ。
だが間違いなく本作は愛を描いたロマンス作であり、それが主軸となってシナリオは巡る。
その意味は実際に視聴すれば理解出来るだろう。
こうしたクライムサスペンスを否定したつくりは、60セカンズやプリズンブレイクのような、「巧みな犯罪計画とそれを妨害する敵対勢力」といった構図を期待している方には残念な知らせだろう。
しかし良い意味での裏切りを見せた展開に、筆者としては満足な感想を得た。
BGM

Sharon Jonesを主軸にJazzyなトラックで随所が彩られる。特にOPのAnswer Meは印象的だろう。
こうした一見物語にそぐわない楽曲の使用だが、これはあまりにも悲壮で悲劇的な境遇を強いられたヘンリーに対するオブラートの役目を果たしている。
軽快なカットと彼の性格で薄れてはいるが、よくよく考えてみれば最低な人生だ。
冤罪で服役中に妻は同罪の銀行強盗犯と子作りに励み、出所後の彼の居場所などどこにもなくなっていた。また悪いことにヘンリー自身がこれに憤ったり嘆いたり、感情を爆発させることが出来ない人間であるのだ。
仮に欝々としたトラックの中で影のある演技を各々が見せ、寂しい色合いの長回しシーンなど多用したら、全く同じ脚本でも真逆のイメージを為す作品が出来ていただろう。
シナリオと見せ方を相反させる。ひとつ間違うとアンバランスになりがちな妙技だが、本作では見事にやってのけたと言える。
名優たち

キアヌ・リーブスの演じたヘンリーの主体性のない男ぶりも良かったが、特にジュリー役のヴェラ・ファーミガが素晴らしい演技を見せる。
大きな声で文句を言っては、ふざけた態度で監督をおちょくる。またサバサバして冷たいようだが、感情が豊かで涙したりもする。
幾度となく繰り返されるリハのシーンだが、それだけの価値はあるだろう。
独特で愛らしく、共感性に長けたキャラクターづくりを見事に彼女はやってのけた。作中とは真逆で、称賛に値する演技力だったと言える。
評価
戯曲と銀行強盗の融合という、前代未聞の取り組み。
素晴らしい作品だったと言える。
以下、考察及びネタバレ注意。
桜の園とは?

作中でヘンリーとジュリーが演じたロシア戯曲、桜の園。
これはどういった物語か。
没落貴族
パリから5年ぶりに帰還したラネーフスカヤ=ジュリーは貴族だったが、既に以前のような優雅な暮らしぶりは期待できなかった。
資金繰りで苦しんだ家族は、タイトルでもある「桜の園」を差し押さえられ、競売に出されることになった。桜の園はつまり領地自体を指し、この貴族らの生まれ故郷でもある。
彼らの思い出の土地であるこれを抵当に入れられたことは、想像以上の心痛だっただろう。
商人であるロパーヒン=ヘンリーは純粋な好意でこの難局への助言をする。それが土地の貸し出しによる、賃貸収入である。
彼は元々この貴族に使える農奴であり、商才を発揮して身分を自らの力で押し上げた男だ。
しかし以前の生活を忘れられないラネーフスカヤはロパーヒンを無下に扱い、豪勢な暮らしで私財を減らし、危機管理を怠る。
競売
やがて資金管理に行き詰ったことで、とうとう桜の園は競りに出された。
ロパーヒンは金に糸目を付けずこれを競り落とすと、かつて自分を農奴として雇用していた元主人らの前で、この事実を告げた。
時代の流れに取り残された貴族たちと、過去の人生と決別を果たした元農奴。
やがて桜の園の住人らは散り散りになり、新たな主のための再開発が始まったのだ。
ラネーフスカヤは、パリへと戻っていく。
伐採
桜という象徴を、別荘建築のために伐採させるロパーヒン。
彼は意中の相手に想いを告げず、その土地を後にする。
あとに残されたのは、老いた召使いだけだった。
本作との異なる点
チェーホフの本家戯曲によると、ロパーヒンが恋したのはラネーフスカヤの養女であるワーリャだったようだ。
本作では台詞と、ラストシーンの観客の反応からも明らかであるように、ロパーヒンが愛しているのがラネーフスカヤであるという独自解釈が為されている。
汽車に乗って遠くへ行ったはずのロパーヒンが、ラネーフスカヤに愛を伝えるために舞い戻ったというアドリブとして観客は捉えたのだ。
重ねる
言うまでもないが、ヘンリーが劇場に戻ってからジュリーに対して放った言葉は全てロパーヒンとしてであり、また彼自身のものでもある。
戯曲と現実をオーバーレイさせるという最高に洒落乙な演出で、作品は幕を閉じた。
その後

あと腐れなく、最高のタイミングでエンドロールへと移行する本作。
ではその後ヘンリーとジュリーがどのような未来を送るか、考えてみよう。
服役
苦渋を飲んでお縄につくパターン。
ヘンリーが冒頭と同じように口をつぐみ、ジュリーはシラを切り通せば服役するのはヘンリーだけで済みそうだ。
しかし一度目の服役と異なる点がいくつかある。
いずれの国家でも再犯者には厳しいペナルティが課される。それが出所後間もないとなれば、なおのことである。
よって第一の冤罪で言い渡された3~5年など到底見込めない。
前回強盗時にエディやジョーが得た金額とは比べ物にならない額である。
800万ドル以上の現金を盗み出したことは、例え主犯でないと認められようとも大きな罪に問われることは間違いない。
以上から服役の線は薄い。ジュリーが操を立ててヘンリーを待ち続けるには、些か長すぎる時になる。
逃走
であるならば逃げの一手だ。
ヘンリーの言う「モスクワに来てくれ」とは実際に願っている本心であると考えるのが正しそうに思える。
ジュリーが女優業を捨て、ヘンリーと逃避行を繰り広げる未来を想像するのは難くない。
きっといつの日か、フロリダのビーチで頭ほどもあるグレープフルーツを齧る老人と再会するのだろう。
終わりに
ラストシーンの切り方には賛否あるだろうが、こうした思い切りの良い後引くエンディングも悪くない。
彼らの未来図は各々の胸に託されている。
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