幽霊の見える青年が織り成す、笑いあり涙ありのホラーアクション映画、Odd Thomasをレビュー及び 評価、感想、解説、考察。
あらすじ
オッド・トーマスには幽霊が見える。
幼い頃から生まれ持ったこの力をオッドは公言こそせぬものの、神から自分へのギフトとして受け入れている。
彼にとって幽霊とは恐れの対象ではなく、彷徨える哀れな迷い子なのだ。
オッドは日頃から声無き者の声を代弁しようと奮闘し、またそれを成し遂げている。
ある日彼は、「ボダッハ」を見つける。この奇怪な化け物は人間の幽霊と違い、曰く死神のようなものだという。
ボダッハは死の匂いに敏感で、それに付き纏われた人間の未来は永くない。それも安寧の死ではなく、苦痛と流血を伴う悲惨な結果が待っている。
勿論霊感を持たない人間には見えず、また仮に見えたとしてもそれを奴らに気取られてはならない。
何故ならば死神は、自分達に気付いた者をすぐさま殺してしまうからだ。オッドは以前にそれを目の前で見たことがある。
普段ならばじっと気付かぬふりで難を逃れていたオッドだが、今回は少し事情が違う。
とある男に纏わりつくボダッハの数が尋常でなかったのだ。
死神の数が多ければ多いほど、大規模で凄惨な何かの前触れになる。そしてそこに集ったボダッハの数は、街を全て飲みこむほどの災厄を予感させるほどだったのだ。
恋人、家族、友人。守るべき者たちのためにオッドは意を決し、男に付き纏うボダッハたちの後を追ったのだった。
オッド・トーマス
本作主人公。
強力な霊感を持ち、迷える霊の声を代弁している。
その過程でやたらと騒動や騒乱を起こす性質らしく、警察署長である父によって事態を丸く収めて貰うこともしばしば。
運命の女性ストーミーとは相思相愛の仲。彼らが共に人生を歩むことは幼少期より運命付けられており、また互いにそれを信じて疑わない。
「奇妙な」という意味をもつオッドという名の由来で父と母が過去に刃傷沙汰を起こしており、結果的に同じ霊能力を持つ母は精神病棟に収容された。同じ轍を踏まぬよう、彼は霊能力の公言を親しい者以外には口にせぬと固く誓った。
ストーミー
オッドの恋人。
彼の人柄、能力やその他全てを丸ごと受け止める包容力がある。
ストーミー無しでオッドが居られぬのと同様、逆もまた然りだ。
アイスクリーム店の店長を務めており、中々に繁盛しているようだ。
幽霊が出るも、恐怖映画ではない
この映画の幽霊は無力だ。うらめしや、と人を脅かすことも出来なければ、祟りで生者を呪い殺すこともない。
所在無げに街をうろつき、ただただ誰かに気付いて欲しいと願うだけだ。
やっと巡り合えても幽霊は言葉を話すことが出来ず、意思の疎通は難しい。
オッドのようなサイコメトリー能力を併せ持たない者の方が多いのは察することが出来るからだ。
彼ら彼女らは儚げに揺蕩う蜃気楼のような存在として描かれ、オッドはそんな霊魂に慈しみを持って接する。
悲惨な経緯で亡くなり、その無念を伝えたい一心の幽霊たちの思いを汲んでやるのだ。
そうすることで魂魄は、神の国へと導かれるのだという。
純粋悪:ボダッハ
作品中で邪として描かれるのはボダッハだ。
地獄の窯の底から這い出たようなこの薄気味の悪い化け物どもは、死の匂いを辿りどこまでも犠牲者を追い続ける。
だがあくまでアクション要素の強い構成になっているので、恐怖演出に弱い方でも視聴の難にはならないだろう。
またボダッハにCGが使われているのを見てガッカリするかもしれないが、この死神はあくまで観測者の立ち位置であり、直接的に恐怖を振るう存在ではない。
なのでホラー作品の禁忌を破ったと感じるのは間違いである。
いやそもそも、ホラー映画ではないのだこれは。
霊能力は万能ではない

手から光弾が出るわけでもなし、念じれば波動でボダッハを吹き飛ばせるわけでもなし。
普通の人が目に見えぬものと意思を疎通できる以外、オッドは取り立てて同年代の青年と変わらない力しか持たない。
街を丸ごと滅ぼしかねない災厄と闘うには些か不安な人材なのかもれしない。
しかし彼の長所は霊魂との交流ではない。
それは他者への慈しみと、持ち前の諦めの悪さだ。
実にアメコミ的要素を内に秘めたこの少し頼りないスーパーヒーローが悪戦苦闘するさまに、いつしか我々は目を離せなくなっているだろう。
評価
様々な諸事情によりヒットに至らなかった今作。しかしそれらはプロモーション側の問題であり、映画の質には何らの影響も与えていない。
満点の太鼓判で万人に勧められる一作である。

以下、考察及びネタバレ注意。
ストーミーの死

ヒロインの死がこんなにも悲しい作品は珍しい。
ロングランのドラマシリーズならともかく、二時間映画の中でここまで我々を強く惹きつけたカップルの、永遠の別れ。
アイスクリーム
実際には上記画像のシーンで、ストーミーのシャツは血に濡れているはずだ。
にもかかわらず彼女のシャツにこびり付いたのはアイスクリーム。
これは彼女が、この時点で自らの死を認識出来ていないことの現れだ。
幽霊の自己イメージはそれぞれ異なる。彼女の場合、撃たれなかった未来を望んだ結果がこの血痕の無いシャツ姿だったのだろう。
或いは別のアプローチとして、本当は彼女自身気が付いているのに敢えて自己イメージを改竄した可能性もある。これはオッドに心配をかけたり、悲しみを背負わせたくなかったという理由が思いつくだろう。
更に別の見解だと、これはオッドの主観視点であり、彼が自分自身を騙していたケースだ。
後に別れの際語るように、彼はこの時点でストーミーの死に気が付いていた。
しかし耐えがたい事実から逃れるように、見たくない現実を改編してしまったのかもしれない。
静寂
幽霊は喋れない。これはオッドの言葉であり、またストーミーにも当てはまる。
銃撃シーン以降、彼女がひと言も発しないことに段々と気が付くだろう。
オッド、そして視聴者である我々が信じたくない事実が徐々に浮き上がるエンディングは、胸が苦しいほどの悲しみが襲い掛かる。
泣いている
目を覚ましたあとに病院で口づけるシーン、車椅子に寄り添うシーン、群衆に称えられるシーン。
生前のストーミーの、いつも明るくて眩しい笑顔はもう見ることはかなわない。
彼女だけがひとり、泣き出しそうな表情を浮かべていた。

オッドも気が付いている

殺人犯たちの素性を知りたくもない、とモノローグで語ったり、ベッドでうなされるオッド。
これは一連のボダッハ騒ぎで疲弊やトラウマを負ったからではなく、単純にストーミーの死を受け入れられなかったことに他ならない。
皮肉なことに、普段霊魂たちを神の国へ送り届ける役目果たしているオッドが、ストーミーの魂だけはそばにいて欲しいと願ってしまった。
彼女が神の許へ行けないのは唯一、オッドの思いの強さという理由だった。
終わりに
何度見返しても泣けてしまうエンディング。
だが必ずいつか、彼らはもう一度出会えるのだろう。

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