【映画】ザ・ウォーカー/イーライが求めたものとは?逆引きで解明【考察あり:ネタバレ注意】

アクション

デンゼル・ワシントン扮する謎の旅人が、荒廃した世界を旅するアクション映画、The Book of Eliをレビュー及び 評価、感想、解説、考察。

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あらすじ

世界は滅びた。

先の大戦で文明社会を失った地球の人類は、今は細々と荒涼とした大地で旧世界の営みを強いられている。
水や食料はより強い者が奪い、弱い者は虐げられるだけだ。弱肉強食の様相を呈したこの地上で、生き延びるには隣の誰かよりも強くあらねばならない。

イーライを取り囲む無法者たち



イーライもまた、この世界に生きるひとり。孤独なはぐれ者である彼は、侮蔑と嘲笑をこめてウォーカー(旅人)と呼ばれる。

ある日彼は立ち寄った町で、トラブルを起こす。そこで出会った町のボス、カーネギーに彼は大事に持ち歩いている「本」の存在を知られる。
カーネギー曰く、その本には世界を変える力があるというのだ。

「本」を奪おうと血眼になるカーネギー、それを死守しようと闘うイーライ。

果たして本の行方、そしてその中に記された秘密とはいったい何なのだろうか。

イーライ

荒野を進むイーライ

西へ向かう旅人。30年以上かけて東海岸からカリフォルニアまで到達したようだ。

刃物、銃器の扱いに長け、襲い来る相手には容赦なく死を振り撒く。
高い身体能力と、奇跡じみた豪運で今まで葬った野盗は数え切れない。

神の声に従って旅を続けているようで、毎夜聖書を読み耽るのが日課である。

ソラーラ

イーライを見つめるソラーラ

カーネギーの町の娘。イーライとの出会いをきっかけに嫌気のさしていた町から、自分を旅に連れていくように頼んだ。

カーネギー

イーライに街へ留まるよう促すカーネギー

町の領主。他の後進的な村と違い、自分たちの町が文明的で進んでいることを誇る。

更に支配領域を広げる為に、イーライの持つ聖書を狙っているようだ。

ダークアクション

チェーンソーを受け止めるイーライ

恐るべき強さを持つイーライの前に立ちはだかれば、枯れた荒野にたちまちみずみずしい華を咲かせることになる。

損壊、欠損表現を惜しみなく使い、ドライでリアリズムに満ちたアクションが見られるだろう。
色合いを落とした画面トーンの古ぼけた旧世界の気配とは裏腹に、演出自体は最新鋭のカメラワークなどをふんだんに使用している。

目的は違えど、ゲーム「Fallout」や「北斗の拳」シリーズに舞台や主人公の特徴は酷似している。

荒廃

荒涼としたアメリカの大地

なぜ我々は荒廃世界に惹かれるのか。
アメリカ西部を舞台に、核戦争やウィルス汚染で滅びた荒野を描く作品は多々ある。そのいずれもが恐ろしく過酷で、そしてどこか寂しさと哀愁を感じさせる。

ザ・ウォーカーの世界もまた、乾いた無機質な大地と、延々と続く荒れ果てた道路で大半の風景が満たされている。
この色を失った絶望の世界には、これっぽっちの希望すら無い。にもかかわらず、どうしてこんなにもこの世界に惹かれるのだろう。

答えはない。我々はただ、じっとイーライの背中を見守ることしか出来ないのだから。

ヒーローは居ない

イーライに絡む乱暴者

イーライは正義の味方ではない。道で困っている市民を片っ端から助けたり、悪政をしいている独裁者を打ち倒して革命を起こしたりは望んでいない。

彼は神の導きで、ただ西へ向かっているだけだ。
面倒は避けるし、足手まといは連れたくない。悪党が大きな顔をすれば気分は悪いが、穏便に済むならそれで良いと思っている。

勧善懲悪ヒーロードラマが観たいのであれば、違う作品にそれを望むといい。
彼は大衆の望んだ都合の良い英雄とは違う。この世界に生きていた本当のヒーローたちはもう、みんなとっくに死んでしまったのだ。

彼は正義の味方ではない。彼は旅人。

宗教観

聖書を手にした男

ときおり有る作品では、「聖書内容の記憶」だったり、「信仰心の所持」を前提として楽しむものが見られる。これは作成された国柄に依る部分が大きく、また無信仰者の多い日本人の不利な部分でもある。

ザ・ウォーカーでも実はそういった側面はちらほらあるのだが、かと言って必須前提とまではいかないので、宗教観について疎い方でも楽しめる仕様にはなっている。

また押しつけがましい解釈の要求や、現実になぞらえた問題提起のようなナーバスになりがちな表現は排除されている。
単純な、

「荒野とジェノサイド、そして神の導き」

のミックスをエンターテイメントとして楽しめばいいだけだ。

評価

色褪せた荒野を往く、果てしない旅。
アクションや世紀末感の好きな方にはお勧めの一作だった。

★★★☆☆
三ツ星の良作。
ザ・ウォーカー(字幕版)
ザ・ウォーカー(字幕版)




以下、考察及びネタバレ注意。






イーライと聖書

役目を終えて神の園へ迎えられるイーライ

イーライと、実際の聖書とを照らし合わせて物語を考察しよう。

西

彼がカリフォルニアの海岸とは言わず、「西へ」という言葉にこだわったのは何故だろう。
結果的にアルカトラズ刑務所跡地に辿り着いた彼は、最後まで自身の目的地を知らなかったように見えた。

【新改訳改訂第3版】

2:1
イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

2:2
ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

2:9
彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。


これはマタイ福音書の引用で、要するに神は東の方からやって来て、西へ向かうとされている。

つまり神の後を追って西へ向かうのは、聖なるものの足どりを辿る清い行為に他ならない。


ここで誤解が生じるかもしれないので言っておくと、

では東へ向かうのは悪行なのか?



という疑問だ。

結論を言うと、これら書では神の行く先に反して東へ向かっても、それは罪ではない。

東は元々神が居た方角であり、すなわち神の故郷のエデンへ向かう行為だ。
なので西へ向かおうと東へ向かおうと、前に進む意思を持つ旅人を神は等しく歓迎している。

ではこの部分で損をする者として唱えられているのはどういう者かと言うと、

旅をしない者



になる。

旅とは実際の歩みだけを指すのでなく、いわゆる人間的前進を含んだ成長のことを指している。


つまり町にとどまって支配の根を広げようと目論んだカーネギーがこれにあたり、この部分で彼とイーライの対立構造が完成する。

また信仰の失われた混乱のきわにつけこみ、自らの教えを布教しようと狙うカーネギーは、イエスの死亡した際に世界中で溢れた「偽イエス」によく似ている。


旅人を称賛する聖書を持つイーライと、根無しのウォーカーと嘲笑するカーネギー。
誰がこの世界にひとつだけ残された書物を手にするかは、序盤で既に決していたのだ。

復活

イーライは奇跡としか言いようのないほど豪運に恵まれている。彼を狙った射撃はことごとく外れ、雨のような銃弾でもかすり傷ひとつ負わない。

また民家で立て籠もったのちに腹部に銃撃を受け倒れ伏した彼は、その後起き上がりハイウェイをひとりで歩いていた。


これは彼が類稀なラッキーボーイだということでなく、実際に神の恩寵を受けていることの示唆になる。
特に後段の死の淵からの生還は、まさしく「復活」を指す象徴的演出である。

この復活に関しては多々伝説が残っているが、最も有名どころだとラザロの復活だろうか。

ラザロの復活
ラザロの復活の絵画



この復活はイーライが真に神の愛を受けている証になった。彼が聖書を口伝するまで命を長らえたのもこのためだろう。

また旅路の途中で神の声を耳にしたという話も、作中で真偽は明かされないが事実であったと思う。

サクリファイス

自己犠牲を最も尊いとする教えは多い。

イーライは30年間ものあいだ神の声を信じて歩き続け、長いアメリカ大陸を横断した。
あらゆる困難を前に膝をつかず、誰にも屈することなくアルカトラズ島まで辿り着いた。

これは自分のためでもなく、更には隣人のためでもなかった。見返りを求めることを否定できない他人への奉仕でなく、純粋な神だけへの信仰心だった。
やがて彼は、先延ばしにしてもらっていた死の迎えを受け入れる。甘く静かな死に包まれる彼の寝顔は、実に安らかだったであろう。


これは究極のサクリファイスと呼べるだろう。彼の招かれた先はエデンに違いない。

終わりに

知らなくても楽しめるが、知っているともっと楽しい。
ちょっとした演出を追求することで知の扉が開かれる感覚は気持ちがいいものである。

ザ・ウォーカー(字幕版)
ザ・ウォーカー(字幕版)

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