黒い液体とウィルス汚染の謎を解くサスペンスホラー映画、The Hiveをレビュー及び評価、感想、解説。
あらすじ
あらゆる記憶を失った男、アダム。彼は木板を打ち付けられ、封印された部屋で目を醒ます。
傷だらけの身体、穴という穴から噴き出す黒い液体。
状況に戸惑いながらも、彼は記憶の糸を手繰り始める。
そう、ここはサマーキャンプ場。親友のクラークと共に、63日間のキャンプを……。
ネタバレ概略
- 1.覚醒立ったまま目覚める男=アダム。彼には記憶が何もなく、自分の名前すらも忘れている。
身体中にこびり付いた黒い液体と、異常な発疹。 - 2.記憶“思い出せ”と書かれたメモ書きを見て、アダムは必死に過去を遡る。
- 3.キャンプサマーキャンプの指導役として、少年少女らを牽引する役目を引き受けたアダムとクラーク。
そこで彼はケイティという女性と知り合い、ひと夏の恋に落ちた。 - 4.墜落ある夜、飛行機が轟音を立てて墜落する。
アダム、ケイティ、クラークとその恋人ジェス。四人は車を走らせ、生存者が居ないかを確かめに行った。 - 5.生存者見るも無残に粉々の機体。生存は絶望的と思った一同だったが、そこで腕のもげた男がふらふらと歩いていることに気付く。
彼は身体中に黒い液体を溢れさせながら、口から吐き出した同じ液体をジェスに浴びせた。 - 6.感染みるみる内にジェスの容態は急変し、穴という穴から黒い液体を垂らす。
そして彼女は、クラークにも同じ液体を浴びせた。 - 7.憑依暴れ始めたジェスは別人のような言葉で一同へ叫び続ける。およそ狂人のような彼女を拘束したアダムらは、無線で助けを求めることにした。
- 8.独白キャンプ参加の子供たちの元へ向かったアダムとケイティ。残ったクラークだったが、そこでジェスに憑依した存在が語り掛ける。
「ジェスはアダムと浮気をしていた」と。 - 9.発現怒りで我を忘れたクラークは、新たに憑依の対象となってしまう。
彼はケイティにも液体を吐きかけ、同じ感染者を増やそうと画策する。 - 10.殺害黒い液体によって共通の意識を持ったジェスとクラーク。彼らを殺したアダムは、ケイティだけでも元の人間に戻したいと考える。
- 11.蘇生一度窒息死させたケイティを、電気ショックで蘇生させる。
これによりウィルスは彼女の身体から死滅し、アダムの願いは叶った。 - 12.世界しかし既に世界中に黒い液体は溢れており、未来の無い先しか待っていないことをアダムは彼女に言えなかった。
演出全般

主に記憶を辿る過去パートと、現況を照らし合わせる現在パートの二部構成を繰り返すシステムになる。
真っ黒い液を噴き出しているアダムに、いったい何が起きたのか。
冒頭ではこの謎から始まり、ジェスの死体や記憶の中の見知らぬ人々と、新たなエビデンスから更に多くの謎が分岐することになる。
交互に時系列を行き来させるが、展開を見失うようなふらつきは見られない。概ね親切なつくりと言えるだろう。
また冒頭から非日常の痕跡が見えることで、事件発生までに飽きが来やすいインフェクションパニックムービーの欠点を補ったとも取れる。
だが一方で、追憶の場面が冗長であるのも否めない。サマーキャンプへの描写がやけに長ったらしく、求めているのはそこじゃない、と声を上げたくなった。
特にケイティとの馴れ初めやその後は、もったいぶった前置きと言わざるを得ないだろう。
ラストで愛を囁かせるための仕掛けとはいえ、出会って数日も経たない彼らにその関係性を染みつかせるのは、どう考えても不自然だ。
最初から恋人同士という設定で充分に思える。
またホラー/スリラーを前面に押した作品でないとはいえ、少々「我々」との闘いを省き過ぎにも思える。
ほとんどの場面で現れる「我々」は、ガヤ程度の賑わしでしかない。
最も期待されたのは大量の子供に寄生した「我々」が一斉に襲ってくる場面だったが、望みは悪い意味で裏切られた。
更に知的さや強さを自称する割には、ジェスやクラークに顕現した「我々」はめっぽう弱い。
口八丁な部分は認めるが、それ以外の行動は語るほど脅威に見えない。
純粋に感染経路を防護する策を持てば、ラストのように人類が壊滅する未来には到底なり得ないように思える。
もっと振り切って異常な強さ、獰猛さを描いても良かったのではないだろうか。
ゾンビっぽいがゾンビじゃない

奇怪な動きとどす黒い粘液を吐く姿から、ゾンビが暴れ回るパニックホラー作品のイメージが強い本作。
だが実態は大きく異なり、知能は人類よりも格段に上で、上位種を自称する存在になる。
暴力性は垣間見えるものの、ビジュアルや声色という外面的性質に反して思いのほか知的で、知恵にも富んだ切れ者たちということになる。
その最大の特徴が、「記憶の共有」になる。
全人類70億人分の記憶へアクセスが可能であり、過去に味わった感覚すらも共有出来る。
またこれは、既に死亡した者の記憶でも同じ結果を得ることが可能だ。
範囲としては人類というカテゴライズ内なのでアカシックレコードとまでは言わないものの、膨大な知識量を好きなだけ引用出来るというのは圧倒的な強みだ。
作中で”悪”であるかのように描かれた「我々」だが、現実でいうとまさにIT分野ではこの境地を目指している。
最終的なプラットフォームは「我々」のような存在への昇華であり、デバイスすらも不要とした自身のネットワーク化である。
もちろん、黒い液体は吐きたくはないが。
余談:「我々」は集合生命体への第一歩
かなりSFっぽく本作を捉える。
ネットワークの追求はこの先どう移行するか、がキーだ。
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やや尖った先進的研究者曰く、このような未来を辿るとされている。
- 利便性の究極を求める
これは現在のGoogleなどが取り組んでいる。
思ったような検索結果を得るのが最たるもので、いずれ言語やタイプするワードすらも意味は為さなくなるとされる。
最大のパフォーマンスを得るには、「人間の思考を読み取ってページを表示する」ことだとされているからだ。
- デバイスフリーの開発
肌に埋め込んだマイクロチップなどで実現するという着想は既にある。
網膜などに直接ビジョンを投影すれば、もはやディスプレイもキーボードも必要無い。
この段まで行くと、既に人間は半ネットワーク化していることになる。
- ネットワークそのものになる
ネットワークをツールとして使用するよりも、自身そのものがネットワークである方が段違いに効率は上がる。
検索先へ情報開示を要求するよりも、自ら検索結果へ赴くならば片道で済むのだ。
あらゆるロスを排除出来ると言えるだろう。
このあたりの描写は、映画マトリックスが近い。
培養液に入った人類は不幸であるとされたが、効率化を考えると最上のシステムを構築していた。
- 肉体の放棄
意識がネットワーク上に常駐するならば、既に肉体の為す意味は生命維持でしかない。
ならばその楔を解き放てば、栄養の補給や怪我、病気のリスクといった不都合から解放される。
自然、人類は肉体を放棄することとなる。
この時点で、概念生命体としてのベースは完成する。
- 集合化
全にして個、個にして全。
無数の個がばらばらにネットワーク上を徘徊するよりも、統一した全である方が効率は更に高い。
例えるなら、蟻が既にこのシステムを持っていることは多く知られているだろう。
彼らは群れが川を渡るために、自らの身体を橋にする。
これは種という全を繁栄させるための自己犠牲だ。
一方で、働く蟻や働かない蟻という個性を持つ。
不思議なことに、それぞれ少しずつ異なる思考を持つようなのだ。
作中では「我々」は既にこのステージに到達していた。
”ポケット”が種の個だとしたら、そこから出た時が種の全になる。
別作品だとアイアムアヒーローでも、ゾンビはこの概念を持っていた。
集合した意識に入り込むのは、たいそう気分が良いらしい。
結論:「我々」は人類の未来像そのもの
本作が警鐘の意味でこのテーマを扱ったかは不明であるものの、ともかく現代科学はこの方向へ舵を切っていることは否定出来ない。
ネットワーク化。肉体の解脱。多次元航行。
SFファンには垂涎のワードである。
ラストシーンのモヤッと感

上記を暗示して締めたエンディング。
逃げ出した先に希望は無く、全人類の「我々」化が免れないバッドエンドだ。
存外スッキリしない。
これにはまず、いくらでも用意出来たはずの伏線が不足していたことが挙がると思われる。
「実はループしていた」エンドを希望したかった
例えばチョークで書いた自身へのメモだ。ここをメメントのように使いこなせば、「実は延々ループしていた」というラストへ持っていける。
クルマで逃げ出した、という何とも歯痒い結末よりはよほど痛快になろう。
実際には、書き記した板書は作中でほぼ役に立たない。
単に追憶の中で判明した事柄を写しただけで、それ自体をトリックに出来なかったのだ。
またジェスの死体も同じで、使いようでループ示唆は容易だ。
拘禁と解放を繰り返せるオブジェクト配置であれば、不都合になることもない。
というよりも、あの場面で死体であるべきは間違いなくケイティだった。
更に言えばクラークも不要であり、すなわち本作はアダムとケイティ以外の登場人物は余計であるという結論になる。
記憶に整合性が有り過ぎる
作中で思い出す記憶は全て正真正銘の事実であり、この面がストーリーへの集中力を削いだと言える。
記憶喪失モノでは基本的に不整合な記憶の汲み取りがベースであり、本作のように濁りの無い真実だけの抽出は珍しい。
これは不確かなピースの掛け合わせという、複雑なシナリオ構築を拒否したことになる。
疑心暗鬼や混迷を嫌い、そのぶん空いた尺に不必要な人間ドラマを挿し込んだ。
もっと現況へ至るまでの道筋をいくつもの枝葉で示して貰わないと、最終的に得る真実への爽快感は必然的に低い水準となるのは目に見えている。
一本道のストレートだと、シナリオへ馳せる想像力は僅かなものに留まるだろう。
評価
ゴアが苦手でないならある程度のオススメではある。
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