人体の行きつく未来を描いたSFアクション映画、LUCYをレビュー及び 評価、感想、解説、考察。
あらすじ
ルーシーはその日、運び屋になった。
腹部に仕込んだビニールに内包された青い粉末は、一粒でジャンキーをハイにした。
およそ500グラムものパッケージを無理矢理体内に仕込まれたルーシーだが、彼女に拒否権は無い。
逆らえば、家族友人は皆殺しになる。
彼女の他三名の運び屋たちは、各々自国への帰還を命じられる。手荷物検査をパスしたのちに、マフィアからのコンタクトを待つという手筈だ。
しかし移送中に彼女は、下っ端のごろつきにより腹部に数発の蹴りを受けてしまった。これにより体内に仕込んだパッケージは漏出し、数グラムでも危険な物質、「CPH4」がルーシーへと取り入れられる事態に発展した。
演技力

スカーレット・ヨハンソンによる演技力にはたまげた。
冒頭では情けなく思慮の浅いブロンドを演じる彼女だが、CPH4摂取後の別人ぶりは凄まじい。
覚醒後のルーシーは、非常にクール且つイケてる。背筋から表情まで、あらゆる部分が覚醒前とは異なる。
役者の妙技、ここに見たり。
アクション

SFアクションと分類される本作だが、主だったアクションシーンは前半でほぼ終わる。
何故ならCPH4のフェーズが進行した彼女にはもはや、肉弾戦すらも無粋な手段に堕ちるからだ。
あらゆる存在はルーシーを止めることはかなわず、その意識すら保つことは難しくなる。
豪快なコンバットアクションを見たい方には残念な知らせになるが、SFとしての一面の方がそちらよりも遥かに大きいとだけ覚えておこう。
勢力図

全体的にCPH4による変質を主軸としつつも、その敵対関係として台北マフィアの存在が付き纏う。
しかし中盤以降の彼らの登場に、存在意義があったかは甚だ疑問だ。
ルーシーはある程度の段階で人類の範疇をとうに逸脱しており、その力に対抗出来る者は存在しない。
争いというのは拮抗したレベルで行われるからこそ緊張感が出るのであって、一方的な上位種からの咎めというのはバトルの体を為さない。それは単なる「懲罰」だ。
こうした背景から、迫り来るマフィアたちに脅威を感じるシーンは序盤を除いて皆無になる。
あらゆる攻撃手段が彼女には通用しないことを我々は前もって知らされているし、またルーシー自身も既知であるのだ。
クライマックスシーンまで監督:リュック・ベッソン節が炸裂しているのはいいのだが、本作に於いてのそれらは些か蛇足であったように感じた。
彼が自身のファンを慮ってこうした不要なアクションを取り入れたのか、或いは締め方に困ってそうしたかは定かでない。
後半の不安

クライマックスにおける象徴的演出では、作品自体の言わんとすることは勿論用意されており、それを表すには適した描写ではあった。
だが一見してこれを反芻可能なのは、往年のSFファンや宇宙科学に興味を持つ者であろう。単純なアクション目当てのユーザーの頭には「?」マークが浮かぶはずだ。
言葉にすれば陳腐だが、言葉にしなければ伝わらないこともある。
非常に難しい二者択一を選んだ結果のエンディングであった。
評価

アクション映画でなく、SFとしての評価を求められる。
映画としてのテンポは非常に良く、ストレスフリーな部分は好印象であった。
概ねの方には勧められる作品と思う。

以下、考察及びネタバレ注意。
脳の10パーセント神話

実は作中で提唱されている、
という理論は立証されていない。それどころか、多くの専門家や実験にて否定された都市伝説なのだ。
火事場の馬鹿力や、サイキックなどで脳の不活性な部分が発揮されるという逸話はかねてより囁かれている。
しかしそれらを裏付ける証拠は無く、逆に脳を使用しきっているという理論の方が確かで、現実味が溢れている。
ということで仮にCPH4を模したドラッグが仮に精製されたとして、人間が人智を超えた力を持つような未来は訪れない。
科学的見地から本作を視聴すれば、一笑に付されること請け合いであるという事実。
リアリティという部分に於いては、大きく引けを取る構成であったのだ。
余談だが、モーガン・フリーマンは宇宙科学や人体神秘に造詣が深い。自身の番組を持っているほどだ。
彼の役柄は現実と照らし合わせても大いにマッチしてはいたが、もしかすると心苦しいものを感じていたかもしれない。
進化

クライマックスシーンでルーシーの身に何が起きていたのか。
結論から言えば、これは「概念生命体化」である。
シナプス
ルーシーの中を疾走するシナプスと、宇宙の描写がオーバーレイしていることに気付いただろうか。
これはミクロマクロの理論であり、つまり人間にすら小宇宙が内包されているという示唆である。
ミクロとマクロを比較する実験は、実際に宇宙科学者たちでも大いに用いられている。
彼らは単純な大宇宙というマクロのみに着目するのでなく、地球上の小さな部分にも銀河との共通点が存在していることを遥か昔から見出している。
例えば50mプール。
ここに空気を入れたボールを幾つか投げ込み、そこへ波紋を発生させる実験は多数の科学者が実用している。
これは宇宙空間でのエネルギー発生とその伝達を縮図として模したもので、新たな発見を手に入れることもある。
また或いは、マウスの脳を走るシナプスや、アメーバなどの微細な単細胞生物。
こうした極小の生き物や電気信号を顕微鏡で観察することで、彼らの体内に宇宙組成のヒントが隠れていることもある。
これらミクロが、マクロを理解するのに非常に重要であることは既知の事実。
二者は大小の差はあれど、大いに共通点を有するのである。
つまり宇宙に属する全ての物体は、全て何らかの小宇宙を体内に宿しているということだ。
肉体の昇華
ルーシーの中に小宇宙が存在していることを、彼女は実感した。
さて次段階では、肉体の解脱が行われる。飛行機のフライト中に自我の喪失を恐れたルーシーだが、実はこれは正しい進化の手順であり、その時の彼女では理解が及んでいなかっただけだ。
肉体の存在は大きな枷だ。維持し、運動させるためにエネルギーを常時必要とし、移動や損傷に大きな面倒とリスクを負う。
作中で電波信号を可視化した描写がある。
この時点で我々に見えない地球上のシナプスへのアクセスが彼女には可能であり、であるならばそもそも、それを操作するよりも一体となって飛び回る方が断然効率的であることに疑いはないだろう。
こうした肉体を捨てた新人類を描くSF作品は多々有り、それらを総称して概念生命体と呼ぶことが多い。
彼らは肉の鎧を捨てることで半永久的な存在を得て、宇宙の中に存在し続ける。
時間遡行
ルーシーが椅子に座ったまま、時間を遡行する演出がある。
これは五次元移動と思われる。肉体の枷を捨てて宇宙と一体になった彼女は、三次元以上へのアクセス可能であることに気が付いた。
仮に概念生命体であればこの作業は労せず行えると考えられる。近所のコンビニに行くような気軽さで、数万年前や何光年も先への移動は可能になる。
これは現宇宙をひとつの脳と例えれば、随所へのアクセスに意識することすらないのと同じだ。
宇宙のシナプスと同一になったルーシーには、その権限が与えられている。
最大で十一次元まで提唱される多次元論だが、最大公約数的には五次元がもっともポピュラーで現実的と思われる。このあたりはかなりややこしいので割愛とする。
至る所にいる
五次元アクセスが可能になれば、もはや位置や時間に意味は持たない。
あらゆる場所と時に彼女は存在し、また同時に存在しない。
作中では「時だけが真実」とされていたが、現実には時間すらも宇宙構成のひとつのファクター、或いは存在を指すこと自体が間違いという論も存在している。
これは一方通行で不可逆と捉えられている現在の時間論への、大きな挑戦状である。
そして仮にルーシーのような存在が立証されれば、その理論が大きく躍進を見せることは間違いないだろう。
知の図書館

量子コンピュータを精製したルーシーは、フラッシュメモリを託した。
これはアカシックレコードを指す演出だ。
アカシックレコードとは、
あらゆる知を得ることが出来る図書館と言われるこの秘法だが、現実でもこの媒体へのアクセスが可能だったと自称する者は何人か居た。
彼らは知の図書館からの借り物を周囲に公言しており、その優位性と素晴らしさについて語った。
真偽は不明だが、仮に事実であるならば彼らもまた、ルーシーのように多次元移動能力を有していたと考えるほかない。
さて物質としてアカシックレコードを手渡された初の人類である、ノーマン教授。
彼のその後については語られない。
この秘法の使い方次第で、人類は滅ぶか、或いは新たなステージへ立つだろう。
彼の望んだ未来はいずれだろうか。
終わりに
現実感を欠いたが、それでも思考実験的に捉えると非常に面白い題材だった。
仮に概念生命体がこの映画を見ていたら、彼らは笑うだろうか。

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