実在した老人の麻薬運び屋をベースに描くヒューマン映画、THE MULEをレビュー及び評価、感想、解説。
あらすじ
かつてはデイリリーの品評会で上位を総ナメしたアールも、インターネットの荒波には勝てなかった。栽培場は差し押さえられ、長年苦労を共にした仲間とも別れることに。
栽培場を買い戻すにも、孫娘の結婚祝いにも金が要る。
老齢ながら流浪となったアールだが、大金を稼ぐアテはなにもない。
そんなおり彼は、ふとしたきっかけで麻薬ディーラーの男たちと知り合うことに。
そこで違反歴の無さと意外性を買われ、アールは90歳近くにしてコカインの運び屋となったのだった。
成果は上々。のんびりと走る彼の独特のスタイルは、プッシャーたち、果てはメキシコの元締めにも好かれることとなる。
だが得てして悪事は長く続かない。DEA(麻薬取締局)の捜査は徐々にアールへと迫り……。
ネタバレ概略
- 1.栽培家デイリリー農家を営むアール。家庭よりも仕事や名声に魅入られた彼からは、次第に家族は離れた。
- 2.閉園それから時は過ぎ。来たるIT化の荒波に負けたアールは、とうとうデイリリーの栽培場を手放さざるを得なくなった。
メキシコ人の従業員三人に少ない退職金を渡すと、彼はオンボロピックアップにこれまでの全てを積み込んだ。 - 3.孫娘孫娘=ジニーの結婚を聞いたアールは、他の家族に内緒で彼女の元に駆け付ける。
しかし娘や妻に見つかった彼は、農園を畳んだことで行き場を無くした事情を見抜かれ、更に愛想を尽かされた。 - 4.仕事一連を見ていたジニーの友人から、アールは仕事の斡旋を受ける。
食い扶持に困っていた彼はひとまず、興味本位でその住所を訪ねることに。 - 5.チカーノ住所のタイヤショップは、昼間からガレージを閉ざしたいかにも怪しい店構え。
中に案内されたアールはそこで、機関銃を持ったチカーノマフィアに出会うことになった。 - 6.最初の旅訝しむチカーノたちだが、様子見ということでともかく仕事を任された。
トラックを指定のホテルに置いておくだけで、勝手に荷台の荷物を持って行ってくれるらしい。 - 7.報酬気ままに旅をして、ホテルに車を駐車するだけ。こんな簡単な仕事の割に、グローブBOXに突っ込まれた封筒の中身は驚くほどの札束だった。
- 8.二度目あればあるだけ、金は欲しくなる。
トラックを新車のリンカーンに買い替えた彼は、差し押さえられた農園のためにもう一度仕事をすることになる。 - 9.中身銃を持った男たちが大事そうに運ぶモノなど、見る前からある程度の予想はつく。
「見るな」と言われていたバッグの中身が麻薬だと知ってしまうアール。 - 10.優良前科どころか違反切符すらも切られたことのないアールは、マフィアの界隈で次第に有名人へとなりつつあった。
彼はメキシコ語で「エル・タタ」という愛称で親しまれる。伝説の運び屋、タタの誕生だった。 - 11.絆ジニーの学費を援助したアールは、次第に別れた妻との距離を縮めていく。
未だ娘は疎んじているものの、大金の力で家族を取り戻しつつあるアール。
もはや彼には、運び屋の仕事をやめる理由などなかった。 - 12.メキシコメキシカンマフィアのボス、ラトン。彼はアールを気に入り、わざわざ自宅の豪邸に呼んでもてなした。
独特な輸送方法が認められた証でもあり、時間にルーズであっても、失敗の無い彼の手腕にはますますの期待が寄せられた。 - 13.反逆アールのやり方を認めたラトンは、配下から腰抜け扱いされ始める。
やがて腹心に裏切られ、処刑されることになった。 - 14.変更以前と変わった体制になったマフィア。アールの遅延は許されないこととなり、時間に遅れれば死をもって償わせると脅す。
しかしそんな折、元妻のメアリーが危篤であるという一報が入った。 - 15.放棄麻薬輸送中であったが、アールは仕事を放棄することを選択。妻の死に目を看取ることにする。
ちょうど目星をつけて迫っていたDEA(麻薬取締局)の目を偶然欺いたものの、マフィアからは裏切り者として追われることになった。 - 16.死別メアリーが他界する。アールは彼女を看取った。
やがてマフィアと接触した彼は、言い逃れをせず、「殺すなら殺せ」と告げた。 - 17.ラストラン妻の事情を鑑みたマフィアは、最後のチャンスをアールに与えた。
しかしDEAは既に彼に迫っており、道路封鎖の末に、彼を逮捕した。 - 18.情状酌量従軍経験や年齢、家族との関係を考慮されたアールには、判事から温情が示されることになった。
しかし行きずりとはいえマフィアのファミリーを売ることを心苦しく感じたアールは、全ての罪を自ら認め、長期刑を受け入れた。 - 19.デイリリー刑務所の中庭で、アールはデイリリーを育てている。
十八番のカントリー感

冒頭からイーストウッド節、とも呼べる軽口合戦。
都会派には到底受け入れられない、カントリー感の溢れる情景だ。
同じく主演をつとめたグラン・トリノの「イカれイタ公」を思い出した方も少なくないだろう。
今作で彼は、「実は格好の悪い老人」を演じた。
外面的な評価こそあれど、家庭を蔑ろにした内弁慶。孫娘に会いに行って、集まった客人から白い目を向けられるシーンでそれは最大限表される。
この面は前作グラン・トリノと逆になった。無愛想で外面を気にしない老人から、真逆の方向性を獲得したことになる。
トラック
彼の最初乗っていた、オンボロピックアップがまたいい味を出している。
くすんだ塗装と錆びたボディ。ツルツルのタイヤに死にかけのスターター。
田園風景を走り抜けるその姿は最高にマッチしている。
なので、初任給で彼がトラックを買い替えたのにはがっかりだ。
黒のリンカーンはバシッと決まったいかにもな運び屋感に溢れているものの、彼のキャラクター性とは少しも噛み合っていない。
史実に基づいたのかは不明だが、ここは冒頭のオンボロを使い続ける趣が必要に感じる。
ただしこの部分はアールが古い過去に決別した瞬間とも言える。
時間を巻き戻すため、時代へ適応しようと試みているのだ。
時間を巡る旅

コカインの輸送の中で、アールは様々な人々と出会う。
男勝りな風貌のバイカーたち。
彼女らは自分たちを、
と呼ぶ。
これはレズビアンの蔑称であり、同じ境遇の間柄で使うぶんには愛称のような役割を果たす。
例を挙げると、最も有名な蔑称といえば「Nixxer」だろう。
これも黒人以外が使うと蔑称だが、黒人同士では親しみを表現することは有名な話だ。
ラッシュ・アワーを観ると理解しやすい。
また黒人一家のパンク修理を手伝った場面もある。
アールは彼らを、
こう呼んだ。
元はラテン語でかなり古い表現だ。差別的な意味合いは前述のものよりかは低いも、あまり好んで使う者が居ない単語になる。
一家らの微妙な笑顔の正体は、こうした背景にある。
アールは言語や思考の移り変わり、またインターネットという大敵を知らぬままデイリリーを作り続けた。数十年を費やした長い長い栽培生活が、どれだけのものを犠牲にしたかを表現している。
これを単純に、「時代に取り残された哀れな老人」と考えるのは間違いだ。
彼は麻薬を運ぶことで為せなかった資産や知らなかった知識、出会えなかった人々と触れ合うことになる。
メールの打ち方、若い連中との仕事、新品のリンカーン。
次世代に喰らい付こうと、もがく彼の姿が随所で見られる。
優しく描かれ過ぎたカルテル

作中に現れるメキシカンやチカーノマフィアの大半は、現実でモデルになる麻薬ディーラーよりも大幅に控えめな表現を用いられている。
特にタイヤ屋で輸送を指示するチカーノは、終盤では驚くほどアールに対してフレンドリーだ。
これはメキシコ人が、寝食を共にするような者は家族同然として扱う風習に基づいている。
アールと彼らはそこまで親しい間柄でなかったものの、人柄の良い年上ということで気を許した形だろう。
しかし前述したように、これら「優しいカルテル」の姿はまやかしであり、実態は大きく異なる。
本作モデルとなった運び屋レオ・シャープ=通称タタが役割を得ていたのは、世界的に有名なメキシコの麻薬密売組織シロアナ・カルテルであり、このマフィアの残虐さは図抜けたものになる。
メキシコ国内だけでも数千人規模の殺人を手がけている彼らは、アメリカでの影響力も同じく計り知れない。
現実で起きたら?
これらを踏まえ、作中での死亡者がサルとラトンのみというシナリオはリアルさに欠けている。
クライマックスにて300キロものコカインを持ち逃げしたアール。ここで一週間以上も連絡が取れず所在も知れないというのは明らかにおかしい。
運び屋はカルテルによりとっくに素性を洗われているはずで、それは別れた妻や孫娘であろうと同じことだ。
そこで仮にこのような裏切りが発露した場合、まずアールの家族一同は無事に済まない。
見せしめにひとりを殺害し、残った家族を餌にコカインを返却するように迫るだろう。
作中でアールが再び姿を現した時、追っ手たちはなんと彼に同情すらも示している。
またグスタボも結局は彼を殺さず、ラストチャンスを授けた。
このような現実感に欠けるシーンは、その後アールが有罪を自供する場面への伏線になった。
彼に運び屋を強要した者は居ない。あくまでアールが望んだことだった。
不満点

- 現実感の薄いカルテル
- ありふれている家族愛テーマ
- 意匠の見えないシナリオ
実話ベースという縛りが悪い方向に働いたか、全体的なストーリーラインはありきたりで見飽きたものだ。主人公が老人という以外、新しい要素はひとつも見えない。
DEA側のサイドストーリーを描く必要性も正直見えない。やるならもっと腰を入れるか、或いは完全な名無しで通すべきだったろう。
また鉄板でもある家族愛テーマだが、本当にもう食傷なのでいい加減どうにかしてもらいたい。
最愛のパートナーの死というのは、エモの喚起手段としてはイージーすぎる愚策だ。
実際、本作のメアリーの死亡場面はなんともチープで見ていられないような酷さがある。
そして前段の、フェイクなカルテル。
レオ・シャープとシロアナ・カルテルへの忖度なのか、過度な描写を嫌った節が見えてしまっていた。
イーストウッド補正で評価が上がっている
上記事項を洗うと、いかにも駄作の要素が揃い踏み。
だがこれらマイナスポイントを牽引するのは、クリント・イーストウッド自身の演技力や台詞回し、または演技指導というディテールだ。
微細な部分で全体像をカバーする技術により、大樹よりも枝葉を見つめさせることに長けている。
また同時に、我々は彼を少なからず色眼鏡で見ている。
- 流石の演技力
- やっぱりイーストウッドはスゴイ
- 彼じゃなきゃ出来ない
こういった感想は作品を褒めているようでいて、実際にはこき下ろしていることになる。
イーストウッドという俳優あっての映画だと吐露しているに近いからだ。
彼以外の要素を汲み取った時に、誇れる部分が何も無いということを。
いい意味でも悪い意味でも、作品の枠を飛び越えた俳優イーストウッド。
そのみなぎる補正力には、隠れたデメリットもあるのだ。
評価
評価の対比となりやすいグラン・トリノを超えた出来とはとても思えない。
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